正しさの権化

しそびれていた先輩の話をしたい。

 

ここで言う先輩というのは、去年の私の業務のうち、そのほぼ全ての前任者であり、その半分の相方だった人のことである。

そうなる前、私と先輩はただ同じ課に属しているだけで業務上ほとんど関わりがないという状況で一年を過ごしており、私は先輩に対して「調子のいいカースト最上位の人間、関わりたくない」以上のことを一切思っていなかった。

そういう訳で一年間同じ課にいながらまともに話したこともほとんどない、というところから二人で出張に行き始めて二回目くらいのとき、そのへんの適当なハンバーグ屋さんだかステーキ屋さんだかで一緒に昼ごはんを食べていると突然「大学の時ってさあ、一回くらい自殺考えたことあるでしょ?」と訊かれた。

その次くらいの出張の時、昼ごはんを食べるために入った定食屋に置いてあったテレビから交際相手を殺害した高校生のニュースが流れているのを見ていると、しみじみした口調で「殺したいくらい好きだったんやねえ」と言っていた。怖い。怖すぎる。先輩の奥さんは痴話喧嘩に包丁を持ち出したり結婚するための脅しで投身自殺を図ったりしたというのを踏まえるともっと怖い。

あまりに意図が分からなかったので、その後友達と遊びに行った時、アンパンマンショーの始まるのを待っている間に「どう答えるのが正解だったと思う?」と聞いてしまった。(我々は子連れではなく、大の大人二人でアンパンマンショーを見に行っていた。)

 

ある日、同じ職場のしちめんどうくさい人が私あての電話のあったことをわざわざ出張先に電話してきたとき、先輩が私の代わりに電話を掛け直してくれたことがあった。プレハブみたいな休憩室(そこがその日我々に与えられたスペースだった)の扉を閉めながら、ダイヤルしてから先方が電話に出るまでの間に胸ポケットから取り出した煙草を咥えて出て行った先輩を見ながら思ったことは下記の二つだった。

・先輩ありがとう、一生ついていく

・電話かけながら煙草咥えるやつ超かっけ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!!!!!!!!!!!!!!!私もやりたい!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

後者は諦めた。私は喫煙者ではなかったし、何より女物の服のほとんどには胸ポケットがついていないからだ。あれは胸ポケットから煙草の箱を取り出さないとかっこよくない。鞄の中から小さなポーチを出してその中から取り出すんじゃだめなのだ。

 

我々の業務には人の間違いを指摘して直させるような部分が含まれていた。私の担当している案件で本当にどうしようもないものがあって、これはどんなに懇切丁寧に間違いを一つ一つ教えて正してやってももうどうにもならない、もうほんとに全部だめ、どうしようもない、潰す以外にない、と心の底から呆れ返ったので先輩に訊いた。先輩、ここどうにかなると思います?

俺はどうにかなると思う。そう言われて私は自分を恥じた。私はこんな風に決めつけたり神様みたいに断罪すべきじゃなかったんだ。

ただ、結果から言えば私が正しかった。ここは本当に、本当に、本当にだめだった。潰すしかなかった。潰せないが、でも潰す以外に直す方法はない。これは私だけの意見ではない。

 

先輩は私の前の”相方”があまりに問題のある人間だったことからその落差のせいで私を大層甘やかしており、最初から「絶対に怒らない」と公言していた。実際先輩はどんな時も優しかったのだけど、たった一度私に向かって怒りかけたことがある。先輩の担当している案件の関係で私が危ない橋を渡ったからで、あまりよろしくない人間を、私の個人情報が筒抜けになるような方法で捕捉しようとした時だった。それは他の人もやっていることだった。先輩はそうしようとしている私を止め、私は基本的に先輩のいうことは聞くので、やめた。それから、でも大丈夫ですよ前にも一度やったから、というようなことを言った。(私)さん、と呆れ半分あとの半分のうち驚きと怒りが半分ずつみたいな声で言われたあとしばらく間があった。怒る寸前、あるいは怒ろうかどうしようか迷っていることがわかった。結局先輩は冗談の方向にハンドルを切り、そんなことをしたら(相手)が、(私)さんが自分に気があると勘違いするかもしれないだろ、と言っておしまいにした。

怒った、と思った。最後の台詞のあとに「そっち?」と言って笑っていた同僚には分からなくても私は分かった。今この人は本気で怒ろうとしていた。絶対に怒らないと公言している人間が、絶対に怒らないと公言している相手をたった一度だけ怒りかけたのが、私が自身を危険に晒したからなのだ、と思うとあまりの文句のつけようのない正しさに圧倒されてしまった。正直少し高揚した。だって危ないことをしたときに本気で叱ってくれるなんてほとんど親だ。私は常に親を欲していた。

そういうわけで結局、私が先輩を「正しい」人間だと信ずる根拠は一億あるにも関わらず、いつも真っ先に思い出すのは私に呼びかけた後のあの間だった。