無題

  またしても最近読んだ訳じゃない本について。

つめたいよるに (新潮文庫)

つめたいよるに (新潮文庫)

 

  最初に読んだのは小学生のときだったか中学生のときだったか。

 当時『ねぎを刻む』だけさっぱり意味がわからなくて、この作品だけがこの本の中でつまらなくて意味不明だと思った。

 友人にも家族にも恋人にも恵まれ仕事もうまく行っていて、不幸なことなど無い筈なのにわけのわからない孤独に襲われる女性が、ひたすら留守と思われる知人に電話して留守電メッセージを聞いたり、「こういうときはねぎを刻むことにしている」とねぎを大量に刻んだりする話。

 ちょっと前に読み返してみたらすごく良かった。変な感想だけど私もねぎ刻んでみよ!と思った。

 多分、当時は「わけのわからない孤独」が理解できなかったんだろう。この本を始めて読んだ頃は、友達は少ないし学校は荒れてるし(と言っても金属バットが持ち出されるようなレベルではなかった)スクールカーストは激しいし(「激しい」で合ってるのか?)で、孤独には絶対に理由が付いていたのだった、そういえば。

 「こんなに恵まれていて何が不満なんだお前は」と思ったし、それからの「ねぎを刻む」という行為も突拍子もない奇行に見えたものだった。留守電にかけまくるというのはもっと変に思えた。

 私は当時に比べると信じられないくらい幸福になり、大体のことがうまくいっている(当社比)と言っても良いような状況ではあるのだけど意味不明に孤独感に襲われることは多々ある。そういうわけのわからない孤独の中にあるときは人に会いたくないものだと知った。矛盾しているようだけど。そして無心の単純作業によってこういう孤独は癒されやすいということも。

 

 以下のツイートを見かけて思い出したので書いた。

※ツイートの引用は許可いらないようなのでやってるけど本当に大丈夫なのかびくびくしている