生ぬるい夜の奥の方
名にし負はば
村上春樹の独特の言い回しの一部は英語の慣用句の直訳だと聞いて驚きました。なんだこのセンスは!でもなぜか言いたいことはわかる!と思って感心していたのに。
ところで私の『象の消滅』がどこかへ消滅しました。五度くらいは真面目に探しているはずなのに見つけられません。次にテレビにフリオ・イグレシアスが出るまでには見つけ出したい(フリオ・イグレシアスを見る度に読みたくなるから)。
動揺
ハスメドがまだ続いていたのみならず(超絶に失礼)、メドレーがtwitterをやっていらっしゃるらしいと聞いて、わたしは、わたしは……
とりあえずtwitterは確認したんですけど、うわあああ本当だあああと思ってすぐ閉じてしまいました。ブログは以前よく見ていたので、「うわあああ本物だあああ」という点での驚きは無いはずなんですが一体何がうわああああなんだ。
妬みについて
昨晩のテレビでビュッフェで食べ物を選ぶのに時間がかかったり他人の選ぶものにつられたりする人は嫉妬深いとかいうのをやっていた。ここの下りはちゃんと見ていないので間違っていたらすみません。
以前から疑問なんだけど、例えば「私にはできないことがあの人にはできて妬ましいきいい」と「私の彼氏と仲良くしているあの女が妬ましいきいい」が同じ「嫉妬」という言葉で括られるのがどうもぴんと来ない。全く別の感情のような気がするんだけど、でもたくさんの人がそうは思っていないから同じ名前がついてるんだよなあ、多分。ああでもそれを言ったら睡眠中の体験と将来への展望だって同じ夢と言う言葉で括られているけどそれを同一のものだとは思っている人はあんまりいないよね。分からなくなってきた。
私はビュッフェで全然迷わないほうだと思うけど嫉妬深い(と最近やっと認められるようになった)。特に2の語義で。嫉妬するのは羨ましいのに加えて自分にないものをその人が持っているのはその人のせいだとどこかしらで思ってるんだろうなあ。こういう意識は良くないなあ。別にあなたが私の何かしらを奪った訳じゃないなんてことは知ってるんですよ。恨むべきは自分とか神とか(私は真剣に宗教を信じてはいないけど、あくまで概念的な意味で)であって、その相手を恨むのは明らかにお門違いなんだけどなあ。
嫉妬について考えるとき常に念頭にあるのはひとりの友人(このブログに出てくる「友人」の八割は彼女)のことです。この人は「かつて私がなりたかった大人」を思い知らせてくれる全く尊敬すべき人で、こういう人と結構な時間を一緒に過ごすのは不幸でもあり幸福でもあったと思います。ああだめだ自分に酔ってる。ブスのくせに。
昨日の正義感の話もうちょっと真面目に考えたから書こうと思ってたんだけど後でいいや。と言いつつ絶対忘れると思う。