日記

 夏生まれだけども夏はめちゃくちゃ嫌い。暑いから。

 多少外を出歩くとそれだけで異常に疲れてしまう。といっても平日はまだ日の照っていないうちに家を出て日が暮れてから職場を出るので大丈夫で、問題は休日。もとから出不精だけど夏は一層家を出たくないな。

 あと時流に逆らってスクワットチャレンジをしたら膝を痛めた。

近況

 今ほんの少しだけ仕事が落ち着いている。嵐の前の静けさという感じです。いやそこまで言う程暇ではないな。

 私は自分の仕事をとくに好きではないしものすごく誇りに思っているというのでもなく、更に言えば全く適性がないと思うが、うまくいく(私は極度に能力がないのでこの「うまくいく」の指すところのハードルは大変低い)とうれしいし、好きな人に褒められるとかなりうれしい。上司(かわいい)はいくら社交辞令だとかリップサービスにしても何か勘違いしているのではないかというくらいに私を「ものすごく成長した」と考えているきらいがあるのでむしろ不安を覚えるけど、そんな風に言われて嬉しくならない訳がない。もっとちゃんとしたいといつも思っている。今思いましたがもしかしたらそれを狙ってわざと言い聞かせるように褒めてるのかなあ。そうだったらすごい上司だ。

 昨年は一方的に他人に迷惑を掛ける側だったけど、今は迷惑を掛けられることも時にある。私のせいじゃないんだけどなあ、と思いつつ他人に謝ることも増えた。とはいえ私はこれまで他ならぬ自分のせいで他人に謝り通しだったので謝罪には慣れているし、とにかく先回りして謝っておけば許して貰えたり大目に見て貰えることは意外に多いということを学習してしまいこれを乱発するようになってしまった人間の屑なのでとくに抵抗はない。挨拶の如く電話口で申し訳なさそうな声色を出すことができる。大体散々他人に迷惑を掛けておきながら自分が迷惑を掛けられるのを嫌がる権利はないと思うし……。

 ただ、ということはきちんとしている人は一方他人に迷惑を掛けられるのを理不尽と感じたり、「なんでこの人こんなにできないんだろう」と思ったりするんだろう。それは理屈では分かっていたけど、この間とても仕事のできる方(面識はある人)が他の人に迷惑を掛けられて、当人が去った後にばかだのあほだの罵ってるのをいざ聞いてしまい大分気が滅入った。部外者(私)のいる前で言うなよなあ。私は自分がばかなのでばかでも生きるのを許される世界がいいなと思った。

無題

 真面目なことを書いて後で見直すと気持ち悪いし、かといってふざけるとそれはそれで気持ち悪い(おもしろくないから)ので困る。どうも生まれつき文体が気持ち悪いようだ。

 ここでは随分長い間たびカワの話をしていないけどもちろん今も熱狂的に読んでいる(わりにすぐ話の筋を忘れていてびっくりする)。次で最終巻らしいので本当に本当にショックです。ただし信頼と安心の江野スミ先生なので終わり方に対する不安は一切覚えていなくてその点については期待しきっている。

 

 能力がないのに道具をいろいろ揃えたりいい道具を使ったりするのは頭悪そうで恥ずかしい気がしていたけど、頭悪いのだからこそ道具に頼らないと駄目ということに最近気付いた。頭悪いのは事実なんだから頭悪そうで恥ずかしいと思うのも無駄だし。

aguru

 もう七年ほどずっと「真人間になりたい」と言い続けている。

 つまり未だに真人間にまったくなれていない。そうこうしているうちに私の言う「真人間」の意味するところが次第にずれてきている気がする。

 主題が「きちんとしたい」という点であるのは変わっていなくて(きちんとするというのはそれ以上具体的に言いようがない(by江國香織)と思うけど、ここで言っているのは例えば転居をしたら住民票を移すとか締切を守るだとかそういう相当に低レベルな話)、でも昔は根底にそれこそ「王子様みたいに」かっこよくなりたいというのがあったのが、今はそれよりとにかくやさしい人になりたいとよく思う。ただしかっこよくなりたくなくなったわけではけしてない。

 何だってそんな風に思うようになったかというとおそらくここ二年でやさしい人にたくさん会ってきたからだ。いや、これまでもやさしい人にはたくさん会ってきているけど最近はやさしさを正しく認識できるようになってきたというところか。こう書くとなんだか人間的にまともに近づいているように見えるが、ただ単に仕事で追い詰められて他人の優しさが身にしみやすくなっただけだろう。

 

 勤めに出るようになってから会ったやさしい人たちの一部は自分のやさしいところをあまりあからさまにしないようにしていた。例えば私が何かしらつらい思いをしていないかどうか声をかけて下さるとき、かなり冗談めかしたからかうような口調で訊ねてくる。自分がそういうキャラクターではないから、というような理由かもしれないが、それより人に気を遣わせることを避けようとしているのだろうと感じる。極度にやさしい。それにしてもこういう人たちのすごいのは自分に余裕がないときでもそういうやさしさを発揮してくるところですね。

 「他の人は分かっていなくても私だけは分かっている」という風に考えたくはないが、やはりそういうやさしさというのはすべての人が感じられるものではないようで、誰かの発言に「違うのに」と思うことも多々ある。やさしさを分かってもらえなかったり、その一方でやさしさにつけこまれたり(私の知っているやさしい人たちは大概理不尽なひどい目を見ている)するのだからやさしい人というのは損でしかないように思うし、それに一体誰がやさしい人にやさしくしてやるのだろうと思う。

 というわけで私の身近にいる一番やさしい人の手助けをする機会をずっと狙っていて、先日とうとう「さんざんいじめ続けてきた(私)さんに助けられるなんて……(いじめられてはいないです)」という御言葉を頂戴したのでよかった。でも全然たいしたことないしその些末な手助けにわざわざこういう言葉を下さるのもまたやさしさなんだろうからきっと一生勝てない。

語彙力

 昨年のいま頃毎日毎日仕事の夢を見ていた。いつまでも仕事が終わらない夢である。とりわけゴールデンウィークのど真ん中に友人の家で仕事の夢から覚めたのは最悪の寝覚めランキングトップ3に入る寝覚めだったと思う。

 その辺りが一番仕事を辞めたい気持ちがマックスだったのだが、「誰に話を通せばいいのか分からない」「退職が決まってから退職するまでの期間を耐えられる気がしない」という馬鹿の極みみたいな理由で辞めることができなかった。

 そんなだった私も今や日々約13時間労働に勤しみ眼(というか目蓋)と肌と髪をぶっ壊し立派な社会人になったと言えよう。これでも一年前に比べれば随分精神的にはましになった。上司がかわいいし。

 直属の上司(40代男性)は優しくて真面目できちんとした人で、しかし申し訳ないことにそれらすべてを吹っ飛ばす勢いでかわいい。サラリーマンをしているよりアイドルになった方が余程儲かるだろうし世の中の為にもなると思う(でも私の上司でなくなったら悲しいのでやめてほしい)。アイドルと言ってもジャニーズではなくハロプロである。もっと言えばセントフォース(女子アナはアイドルではないという指摘は受け付けない)。松潤ではなく皆藤愛子なのである。

 一応書いておくと私の好みという訳では全くない。そういう話ではない。私がしているのはそんなちんけな話ではない。上司のかわいさはそんな枠に収まるようなものではないのだ。ついでに言うと見た目がどうとかいう話でもない。すべてである。すべてがやばい。

 というような話を職場の人に言うわけにもいかず上司本人に会ったこともない人達に熱弁することになるが、当然ながらこんなのでは全く魅力を分かってもらえない。会ってもらえれば一発なのに!!!!

就活

お題「就活」

 新年度になっているのに就活の話かよ。

 私はこの御時世残業代も全部出るし有給も理由を問わず取れるようなところ(お給料はいいとは言わないけど悪くもないと思う)に運良く就職できたのですが、面接でうけるようなタイプでは全くなかったはずなんです。しかも結構難易度の高いところだったらしく、まあどうせ受からねえやな、と軽い気持ちで受けたらなぜか受かってしまった。そしていけそうだった本命に落ちるというわけの分からなさ。

 エントリーシートも履歴書も面接もそこまで本気で作り込んだり練習したりしなかったので「会心の面接ができたな……!」というようなエピソードは特にありません。圧迫面接もなかったし。いや、後から「あれはちょっと圧迫(と言うほどでもないけど、そういう系統の質問の一種)のつもりで聞いたのかな?」というのがひとつだけあって、大学の研究分野に対して質問をされ、こうこうです、と答えたら本当ですか?こうではないんですか?と更に訊かれたのはちょっと困ったなあ。

 「答えが合っているか間違っているかは問題ではなく、ここで素直に「勉強不足なもので、自分はこうだと思っていましたが、間違っていたらすみません」とか言えるかどうかが問題」であるとはすぐ分かったんです流石に。でもそもそもそんなに自信のある答えではなかったので、内容はともかく反論して反応を見るための質問というのではなく、もしかして純粋に間違いを指摘されたのでは……自分の研究分野もよくわかっていないんじゃないかこいつ、と思われたのでは……と思って結構焦りました。怖くて受かった後もしばらく自分の最初の回答が合っていたのかどうか確認できなかった。働き出した年の夏頃にやっと恐る恐る調べたところ合ってはいたのですが、あの面接官は本当に間違っていると思って訊いたのかもしれないなあと今でも少し思います。「え、それってこうじゃないんですか?」っていう純粋な疑問っぽい訊ね方で、ちっともそう思ってないのに演技であれができるならちょっとすごいと思う。

 あと、「どういった時に夏が来たと思いますか」という質問。今でも正解が分からない(「正解なんてない!」という正しい突っ込みは置いておいて)。ただ正解が分からなくても明らかな不正解は分かるわけで、その例が「ある日を境に家の扉を開けた時に感じられる陽射しが急に変わることがあって、その朝に『あ、今日から夏だ』と思う」という私の回答です。でもここも内定出たので、これでもちゃんと受かるには受かるので、就活を控えて不安という方々は安心していただいていいですよ。

希望の中にひっそりと影を潜めてた絶望ちゃんが

 恋に纏わる願い事をカードに書いて吊るすと神社で祈祷してくれるというやつを商店街でやってたので書いてきました。他人のを。恋人がいないのに他人の恋路の安寧を願う私やっさしいな〜〜と誰も言ってくれないので自分で言う。

 働き出してからというもの「上司が信じられないくらいかわいい」以外本当に日常に誰かに喋るほどの特筆すべき出来事が起きないし必要なこと以外の思考のくだらなさも数段アップしたのでここに書くようなことがあんまりないです。

 

 冗談ばかり言っていて物言いのきつい時がありその実かなり真面目で面倒見が良く神経のこまかいおじさんが職場にいて私はこの方が大好きなんですけど、しょっちゅう口撃を受けているのでいろんな方がこの方はちょっと私に対してあたりがきついよねというようなことを言ってくださる。私に気を遣ってくれているのはよく分かっているつもりだし皆さん優しくてありがたいんだけど、全部私が悪いし私はこの方のことは本当に好きだからそういう言い方されるとちょっと悲しい。本気で言っているわけじゃないのは分かってるけど。

 なんだかんだ言って見捨てずにたくさんフォローしてもらっているし、他の方はわざわざ言わないようなことを教えてもらって助かったことも何度もあるし、普通の人は何も言わなくてもちゃんとできるようなことであろうとできたら褒めてくれる(冗談交じりだしその倍の口撃がもれなく付属するとは言え)し、なんて親切でいい人なんだろうと思う。それは自分の仕事をスムーズにいかせるためだけかもしれないし、さすがに全部私のためにやってくれてると思うほど自惚れてはいないので、面倒が起こるのがいやで教えてやってるけど理由がどうあろうとこいつの役に立つのは腹立たしいと思われていることは覚悟している。でもそうだとしたら余計すごいですよね。自分に降りかかることだけを黙って自分でどうにかした方が早いだろうに、うまくいかなかろうと自分には特に支障のない業務だってあるのにそのために嫌いな奴にわざわざ教えてやる手間をかけるというのは。どちらにしろ尊敬すべき方だと思うし、それ以前に私にかまってくれる上話が面白いので好きです(台無し)。

 どうでもいいけど他人からされたことに対して「嫌」とか「むかつく」でなしに「悲しい」と言うのは、なんというか自分が傷ついた!というのを盾にうまいこと悪者にならずに相手を非難しようとするニュアンスがあるような気がしてできれば使いたくないんですが、別にむかついても怒ってもないし「嫌だな」というよりは正に「悲しい」としか言えないので使いました。他人が使ってるのを見て微妙な気持ちになる権利はもうない。

 

 ここに書くようなことがないって言ったの誰だよ。あったよ。