眠くなってきたのでやめます

 「なぜ人を殺してはいけないのか」という問いの意図が昔からよくわかりません。

 例えばこの世がほぼ完全なる無法地帯で、しかし人を殺すことだけは禁止されているというならわかります。そういう状況なら、「ものを盗んでも人を騙しても許されるのに、なぜ人を殺してはいけないのか」という疑問が生じるのは当然だからです。

 「なぜ人を殺してはいけないのか」という問いを立てる人は、例えば「ものを盗んではいけない」ということは当然のこととして理解しているのでしょうか。それならものを盗んではいけないのと同様に人を殺してはならないのだという理解に至らないのはどうしてなのか私にはわかりません。

 それとも禁止の度合いが強いことが理解できないのでしょうか。盗みで死刑になることは多分ないと思いますが殺人は死刑になりえます。

 あるいはそれこそ死刑が存在するからでしょうか。つまり許される人殺しと許されない人殺しが共存するのはおかしいという考えなのでしょうか。刑罰としての殺人や戦争における殺人は意図的なものであるにも関わらず罪に問われない一方で、たとえ死刑に値するような人間であろうと殺せば罪に問われます。

 いや、この世にいないほうがいいと思われるような人間でも殺してはいけないというそれが問題なのでしょうか。そこが理解できないという話なのでしょうか。誰からも愛されるような人を殺せば多くの人にとって不利益ですからそれを責められるのはわかるけど害悪を排除して責められるのはおかしい、そのような場合ですら「人を殺してはいけない」が絶対的に存在するのはなぜなのか、という理屈なのでしょうか。

 

 個人的な回答としては、人を殺してはいけないのは自分が殺されたくないからで、ものを盗んではいけないもの自分が盗まれたくないからで(多くの人がそう考えた結果「人を殺してはいけない」「ものを盗んではいけない」という決まりが生じたのであって)、そしてものを盗むより人を殺すほうが重い罪になるのは取り返しのつかなさがより大きいからだと考えています。あ、法律の歴史とか調べて書いてるわけじゃなくて、なんとなくこういう感じのような気がするというのをてきとうに書いてるだけです。

 この考えだと絶対的な倫理や生得的な道徳観念など存在しないという結論になりそうで、でもべつにそれでいいじゃんと思っていたのですが、人間って確かそれが故意であろうとどんなに憎い対象であろうと殺せば加害者はPTSDになるんじゃなかったかな。それならやっぱり本能的にわれわれは人殺しが禁じられていることになるんだろうか。