人間の虹を空から見るの

時雨と9mmを(好みっぽいのに)聴くことを何となく避けている、という話はここに書いた気がする。

音楽好きの同級生が好きだったから彼女に失礼な気がするというのがその理由だったのだが、失礼だとか申し訳ないとか以前にそもそも友達の好きな音楽を聴くのが好きじゃないと気付いた。

人の好きな音楽や本や映画を見るのが、どうもその人の普段外には見せない思考や嗜好なんかを覗き見ているようで気持ち悪いのだ。気持ち悪いっていうのはその人に対してとかその行為自体では無くその行為を行う私自身に対してです。ストーカーみたいで。私は好きな人(恋愛的な意味に限らず)のことは何でもいいから知りたいと考える性質なので、日頃からストーカーっぽいことをやらないように気を付けているのだけど、それが行き過ぎているのかもしれない。好きなバンドを教えてもらえば気を付けて聴かないようにして、でもどうしても気になって好きだと言っていた曲の歌詞をものすごく後ろめたい思いをしながらこっそり調べたりする。あれ聴いたよ、私も好きだな、もっと教えてよ、と言えないのが社会不適合者だなあと思う。そう言ったら気持ち悪がられるんじゃないかという気がして。おすすめの本を教えてとおそらく何のためらいも深い意味も無く私に言う友達を見て、ああこの人はすごく健全なんだなあと自分との間の溝を改めて実感したりする。

一方で、彼氏の携帯をチェックする女は自分が後ろめたいことを携帯に隠しているという理論で言えば、私も私の好きなものを見られるのは自分の隠していることを見られるようで気持ち悪いと思っているんだろう。

要するにすっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっごく自意識過剰なんだな。

 

すっごく自意識過剰なのでこんなことをするのは恥ずかしいんじゃないか、こんなものが好きなのは恥ずかしいんじゃないかと考えすぎてきた。だから今自分が本当にしたいことや本当に好きなものがよくわからなくなってしまった。私は重度の中二病で、これでも最も悪い時期は過ぎたと思っているのだが、その「最も中二病をこじらせている時期」にもっと自分の中二病に素直になっておけばよかった。中二病のくせに「これは中二っぽくて痛い、恥ずかしい」と考えすぎて本当は好きになれそうだったいろんなものから遠ざかりすぎた。恥ずかしいとか痛いって思われたくないとか考えずに、あれを見ておけばよかった、あれを読んでおけばよかった、あれを聴いておけばよかったと思う。もちろん今素直になることはできる。今それを見たり読んだり聴いたりすることはできる。でも、もっと中二病真っ盛りの時代に触れておけばもっと得る物はあったんじゃないかと思ってしまう。何も知らずに痛い、恥ずかしい、中二だと他者を馬鹿にして笑うんじゃなかった。