国文学系の学者の方々へ:これはジョークですので見逃していただきとうございます

当初はエイドリアン・ブロディのことを書く予定でした。

昨日「デタッチメント」を見たのです。非常に真面目な映画だったのですが、私は

「エリカかわいいよエリカ、あああ私もスーツ着たエイドリアン・ブロディに目を見られながら話聞いてもらいたい、あのベリーショート超かわいい私もやってみたいけどあれは美少女かつ頭の形がよくないとだめだよなあ、うわああああエイドリアン・ブロディと結婚したい、駄目ならエイドリアン・ブロディを目に焼き付けながら自殺したい、つーかエイドリアンって男の名前でもあるんだね」

みたいなことしか考えられなかったのです。

ですが今日はそれではなくヤンデレのことを書きます。

長らく私の中での最高のヤンデレは太宰の「駆け込み訴え」におけるユダでありました。

私は殿方と殿方の関係性に艶っぽい雰囲気が1ミリでも漂うのがどうも受け付けず、その一方でこのユダのヤンデレの相手はイエスですから順当に考えれば私はこの作品を受け入れられないはずです。

しかしユダのヤンデレ度合いがすばらしすぎてそんなことどうでもよくなってしまうのです。それほどまでに私の理想のヤンデレの具現化とも言うべき存在であったのです。

ですが本日そのイスカリオテのユダと肩を並べる殿方が出現しました。藤原定家です。

モニターの前で「ああ…」と思い当たったお嬢様(もしいらっしゃればの話ですが)、おそらくお察しの通りです。流行に乗るのが嫌という典型的中二病により正直申し上げてはまるべきでないと思っていた某超訳百人一首漫画です。タイトルをはっきり出さないあたり往生際の悪さが伺えますね。

いえね、テイカカズラのエピソードは知ってたんですよ。某所で「テイカカズラの名前の由来がヤンデレ」って聞いたものだからわくわくしながらググってウィキって大変興奮いたしました。ええ、しましたとも。

でもこれはまだ「穿った見方をすればヤンデレだが、好意的に見れば純愛と言えないこともない」レベルですから、すごく興奮するけどユダには及ばないと思ったんです。というか別に太宰はヤンデレのつもりでユダを書いた訳じゃないんですから、駆け込み訴えのほうこそ「穿った見方をしているからヤンデレに見える」というのが正しいんですが。

ですがねえ、今日、松浦宮物語の存在を知ってしまいましてね。これはね。だめだよね。もう肩を並べるとかじゃないよね。頭一つ抜けた。

いや定家だって後世の創作でヤンデレになってるだけなのは分かってます。分かってるんですけど…ちょっと…美味しい要素が多すぎるんです。妄想の余地がありすぎるんです。

 

太宰治藤原定家様、そしてこの方々の研究者やファンの方々にお詫び申し上げます。勝手にヤンデレとか言ってすみません。

こういう偏見がいかに真実を見る上で障害となるかなどわかりきっているのに…しかし、これが、業(サンサーラ)…!!!(反省していない)