この男には何も分からないのだろうか?
恥ずかしながら源氏物語をきちんと通して読んだことがなく、これはいかんと思いまして、今、読んでおります。超序盤。
いきなりの┌(┌ ^o^)┐な展開に、ややうろたえたりしております。
そういえば聞いたことあったなと思いつつ、諦め悪く「でもこれ橋本治の脚色かもしんないじゃん?」とググってみましたが私の負けです。紛れもないほもです。どう見てもほもです。本当にありがとうございました。(個人的には全くありがたくない)
教科書にもよく掲載される、菅原孝標女ちゃんが源氏物語を読みふけりながら、「この楽しみに比べたら后の位など何であろうか」とか考えるシーンありますよね。
あそこ読んで「超わかるー!!」とか思ってましたからね。源氏読んでないのにね。嫌な小学生だ。
全く必要のない情報を追記して小学生のころはませてましたアピールアンドひと味違う小学生だったんですアテクシアピールをする現在の私も十分いやらしいですが。
昔からどうも「みんなと同じは嫌!私は他人とは違うのよ!」という感じのかなり面倒な人間で、しかもそれを自分のコミュ障の言い訳にしていた部分があります。合わせられないんじゃなくて合わせないんだと。
そんなコミュ障エピソードをひとつ思いだしたので書いておきたい。
幼稚園に通っていたころ、私は工作教室に行っていました。みんなでひとつの作品を作り上げる、というようなことはありませんでしたが、毎回、決められたテーマに沿って各自同じような作品を作らなければなりませんでした。
あるときの課題は木材を使って何かを作ることでした。「何か」が何だったのかは忘れましたが、とにかく私は「何か」を作りたくなかった。
私が作りたかったのは電卓だった。というわけで、私は独り輪を離れマイ電卓を作り上げました。見よこの集団行動への順応性の低さを!!
ちなみにお手製のマイ電卓を手に入れた後も電卓への憧憬は消えず、小学生のころに誕生日プレゼントとして本物を手にすることに成功しました。この類の性癖はその後も残り、私は使いもしないコンパスだのノギスだの計算尺だのをやたら欲しがるようになりました。今も欲しい。コンパスは持ってるけど。