aguru

 もう七年ほどずっと「真人間になりたい」と言い続けている。

 つまり未だに真人間にまったくなれていない。そうこうしているうちに私の言う「真人間」の意味するところが次第にずれてきている気がする。

 主題が「きちんとしたい」という点であるのは変わっていなくて(きちんとするというのはそれ以上具体的に言いようがない(by江國香織)と思うけど、ここで言っているのは例えば転居をしたら住民票を移すとか締切を守るだとかそういう相当に低レベルな話)、でも昔は根底にそれこそ「王子様みたいに」かっこよくなりたいというのがあったのが、今はそれよりとにかくやさしい人になりたいとよく思う。ただしかっこよくなりたくなくなったわけではけしてない。

 何だってそんな風に思うようになったかというとおそらくここ二年でやさしい人にたくさん会ってきたからだ。いや、これまでもやさしい人にはたくさん会ってきているけど最近はやさしさを正しく認識できるようになってきたというところか。こう書くとなんだか人間的にまともに近づいているように見えるが、ただ単に仕事で追い詰められて他人の優しさが身にしみやすくなっただけだろう。

 

 勤めに出るようになってから会ったやさしい人たちの一部は自分のやさしいところをあまりあからさまにしないようにしていた。例えば私が何かしらつらい思いをしていないかどうか声をかけて下さるとき、かなり冗談めかしたからかうような口調で訊ねてくる。自分がそういうキャラクターではないから、というような理由かもしれないが、それより人に気を遣わせることを避けようとしているのだろうと感じる。極度にやさしい。それにしてもこういう人たちのすごいのは自分に余裕がないときでもそういうやさしさを発揮してくるところですね。

 「他の人は分かっていなくても私だけは分かっている」という風に考えたくはないが、やはりそういうやさしさというのはすべての人が感じられるものではないようで、誰かの発言に「違うのに」と思うことも多々ある。やさしさを分かってもらえなかったり、その一方でやさしさにつけこまれたり(私の知っているやさしい人たちは大概理不尽なひどい目を見ている)するのだからやさしい人というのは損でしかないように思うし、それに一体誰がやさしい人にやさしくしてやるのだろうと思う。

 というわけで私の身近にいる一番やさしい人の手助けをする機会をずっと狙っていて、先日とうとう「さんざんいじめ続けてきた(私)さんに助けられるなんて……(いじめられてはいないです)」という御言葉を頂戴したのでよかった。でも全然たいしたことないしその些末な手助けにわざわざこういう言葉を下さるのもまたやさしさなんだろうからきっと一生勝てない。