最後の鳥は飛び立って

今週のお題「卒業」

 先日大学を卒業しました。正直いって大学生活はこれまででもっとも穏やかで楽しかった、何しろカーストを意識することが殆どなく窓は割れず消火器は爆発せず(火は出た)予習を忘れたからといって殺されると怯えずにすみイベント毎に最小限度での参加しか許されないこともなかったからね。

 

 こういうネガティブな言い回しはよくないのでよかったことを普通に書きます。大学は今までに比べて随分と自由で、いろんなことをして楽しかった。受験勉強はできても本当の勉強は私には向いてないなあとようやっと気が付いたけど、でも勉強は楽しかった。とくに実生活で全然役立ちそうにないやつ。

 高校の頃一番好きだった先生だけが私の大学の学部選択にけちをつけてきたことを今でもよく思い出します。けちを、というのはただの言いがかりで要は就職で苦労するという至極まっとうな忠告だったんだけど私は覚悟の上で進路を決めていたのでそれによって翻意することはなかった。好きな職に就くなんて高度なことは諦めて就職はどうとでもしよう、ただ大学の間までは好き勝手生きてやる、とその時決めた。結果的に「どうとでもしよう」と思っていた人間にしてはそう悪くないところへ勤めることになったので、教師になる以外潰しが利かないぞ、と親切にもただひとり言ってくれたその教師へ、忠告通りにはならなかったことを報告に行かなければならない。しかも全く就職に役立たなさそうなことばかり好んで勉強していたことも。

 

 しかし何と言っても一番よかったのは素敵な人にばかり出会ったことで、少なくともそのうちの二人は私の人生を変えたと言っても過言ではない。もともと人間関係には恵まれている人生だと認識しているけれど、それでもこの二人は凄かった。年齢も立場も性別も違う二人だったけど、「そういえば私はこういう大人になりたかったんだったな」と思わせる人たちだった。二人とも面白くて優しくて真面目で頭がよくて才能のあるかわいい尊敬すべき人たちです。

 そのうちの一人である友人のことは本当に大好きで尊敬もしていて信者みたいにすらなっていたんだけど(今も「この人を好きじゃない人がいるなんて想像もできない、もし万が一億が一いるのならその理由が全く考え付かないからどこが好きじゃないのか詳細に聞き出したい」くらいのことは思う)、その一方で「私だって本当はこんなふうになりたかったのに」という妬み嫉み大爆発みたいな感情もあった。嫉妬は同じレベルの人間に対してしか感じないものだなんていうのは真っ赤な嘘だとその時初めて知った。だって人間としての格が全然違うのに。というか今考えるとこんなすごい人に出会って初めて心の底から嫉妬を覚えるなんて私は随分自己評価が高いんだな。改めて落ち込んできた。

 話は逸れたが私はとにかくこの人のことが大好きで尊敬もしていて、そんな友人みたいに(なれないとは知っていたが)なりたかったし友人は友人でとても頑張っていたので私も頑張りたくて、それで私なりに頑張って今があります。無理だとは思うけど、これからもずっと友人は「こうでありたい尊敬すべき大人像」であるに違いないし、私が頑張れたのはこの人の存在があったからなので本当に感謝しています。友人にとってはまず間違いなく私の存在はマイナスだったろうなあと思うけど、私は出会えてよかった。

 というのをさああ〜〜〜〜昨日差しで飲んだ時に明日新天地へ旅立つ友人に言えていたらなああ〜〜〜〜〜!!ほぼ下ネタしか喋ってねえ〜〜〜〜〜〜〜〜!!でも数年前のお誕生日おめでとうメールに尊敬してますって書いて送った時に後から自分のあまりの気持ち悪さにめちゃくちゃ後悔したから多分言ったら言ったでやめときゃよかったってなるんだよな〜〜〜〜〜〜〜〜!!

 一方で思ってることを言えなくてよかったって思うこともあって、「友達できるかなあ」って言ってる友達に「できるでしょ〜(っていうかあなたはどうせすぐに友達たくさんできて私のことなんてすぐ忘れるでしょ)」とか、「寂しい」って言ってる友達に「私もだよ〜(っていうかあなたは多分次の場所でいっぱい楽しい思いをして私のことなんてすぐ忘れるだろうしいつまでも寂しいのはきっと私だけだから大丈夫だよ)」とかっていう括弧内の心情を口に出さずに済んだのはよかった。こうして書いてみると本当気持ち悪いですね。大好きとかいうレベルでなく執着と卑屈な精神がやばい。

 でもまあ私のことはとっとと忘れて楽しくやってくれればそれでいいです。本当は一年に一回くらいは思い出してほしいけど。