なぜ下ネタが好きなのか

いつもにも増して下らない話です。すみません。

 

 神と崇める友人がこれを教えてくれた。しかし申し訳ないことに私は既にこれを知っていたので楽しいリアクションを提供することはできなかった。というか初見でも楽しいリアクションはできないです(思えば小学生の頃から、あまりのリアクションの薄さを化学実験を見せてくれた科学館の職員に心配されていたりした。すごく楽しんでたのに)。

 それに対して友人は「(私)が下ネタに寛容でよかった」というようなことを言い、私はおいおい冗談言うなよと思った。現状私と彼女との会話は八割下ネタで構成されており、「寛容」どころじゃないことは彼女もよく知っているはずなのである。

 それでふと、どうしてこんなにどうしようもない人間になってしまったのか……はもう仕方がないので、どうしてこれほど下ネタが好きなのだろうと考えた。ポイントは大袈裟に言えば「ちょっとタブーを犯してる感」にあるのだろう。多分。

 私は小さい頃から自分でものを考えない子供で、誰かの言う通りに生きてきた結果怒られる経験に乏しかった。そうすると怒られたり非難されたりすることを普通の人よりもずっと嫌がるようになり、大人の望まない「いけないこと」は避けて通っていた(こう書くと両親がとても厳格だったように見えるかも知れないけど真逆です。超放任主義です)。

 こういう風に対外的に真面目だと言われるような幼少期を過ごしてきた人は分かると思うのだけれど、それにも関わらずちょっといけないことをするのってすっっっっっっっごく楽しいんですよ!こっそり学校に漫画を持って行って貸し借りするとか、入ってはいけない教室に入るとか。全然大したことはないし皆やってたんですけど。

 多分こういうことの延長線上に、「下ネタを話す」というのがあるんでしょう。だからそれこそ股間や陰部そのものは全く重要ではなくて、「あまりおおっぴらには言えない内容を話し、共有している」ということそれ自体が楽しい。私自身が処女で性行為が全く未知であるということもあります。一生ないと思うけどまかりまちがって経験するようなことがあれば下ネタが全然楽しくなくなるだろうと思う。今でも、彼氏の××が◯◯で、というような話は(決して嫌いではないけど)「某コンビニのロゴがいかがわしいものに見える」というような下らないネタの十分の一ほども楽しくない。いや、正確に言えば、楽しさの質が全く違う。体験談として面白いけど、下ネタとしての面白さではない。私が下ネタに求めているのは生々しさではないんですよ。

 ここら辺で正気に戻ったけど、せっかく書いたので公開します。