どうでもいい話(いつも)

 性格診断などでしばしば「普段は穏やかだが自分の中のある一線を一ミリでも踏み越えられると突如として怒りを顕にし、その一線は本人にしか分からないため周りには「何故か分からないが突然切れ出す人」として見られる危険性がある」というようなことを言われる。今までの人生で「キレた」と言える出来事がないのでどうか分からないが、言われたのは一度でないので恐らく当たっているのではないかと思われる。

 それで私は一体何にそこまで怒るのか考えた。これまで自覚はあまりなかったが人の話など聞くと私は相当自由度の高い環境で育てられたらしく、それもあって自由を制限されたり意志を無視されたりすることに腹を立てる、ような気がする。「ああしろこうしろ」はそれほど苛立たないが「ああすべき」は途端にむかつき度数が上がる。結局の所自分の好きな振る舞いをして自分の機嫌を取れという要求である癖をしてそれを意図的に無視しているのか気付いてすらいないのか(余計悪い)「別に私の損得でなくお前のために言ってやっているんですよ」という態度を示しているそのいやらしさが大変に癪に障る。

 

 

関係ないんですが何か下書きにネウロのアニメについてそれなりに真面目に考えたらしい文章が残っていて勿体ないのでアップしておきます。長いし恥ずかしいので文字を小さくしておきます。

 ネウロアニメについて原作信者としてはどうしても否定的になってしまうのだが、ちゃんと前向きに評価してみようと思う。という訳で、アニメのいいところを挙げてみよう。

ネウロと弥子が原作以上にいちゃいちゃしている

以上!

というのはあんまりなので、もう少し好意的に捉えよう。

と思ったがいまいち思いつかなかったので、むしろ「ここが嫌だった」というところを挙げて、それが本当に駄目だったのかよく考えてみようではないか。

まずストーリーの改変からいってみます。

・話の順序の入れ替え

DCSを最初に持ってきて魔人探偵脳噛ネウロがいかなる漫画であるかをはじめに提示しようとしたその心意気は評価したい。

・アニメオリジナルストーリー(SNSの話)

叶絵とネウロを対面させたことは評価したい。

・アニメオリジナルストーリー(南米というか義兄妹(本当は義姉妹だがアニメではその点に関して言及が一切なかったので義兄妹ということで))

むしろこの方向性で原作とかけ離れたドロドロの暗すぎる展開にしてくれたら評価したと思う。どうせ原作と違うならそれくらい突き抜けてくれたら諦めがついた。

後のアニメオリジナルは特に言うことはないです。あ、松井先生のお声を聞けたのは良かったです。

・弥子の性格が違う

これが最も許せなかった。要するに「こんなの俺の弥子たんじゃない!!!」という。

しかしすごく好意的に捉えてみると、アニメでは弥子の父親を失ったことをはじめとする苦痛を分かりやすく示そうという意図があったのではないかなという風にも見える。

原作において一見弥子がすごくメンタルが強かったりあるいはドライであるように感じられる、ということが言われているのは何度か見たことがある(実際どちらかと言えばドライな傾向はあると思う)。確かに、一話の時点で父を惨殺されているにも関わらず弥子が分かりやすく感情を爆発させるのは相当後になってからだし、それも父親の件とは無関係に更なる悲劇が立て続けに発生しているからなので、少なくとも父親の件についてはあっさり立ち直っているように見える。が、一話の笹塚の発言やネウロの登場シーンでの弥子の言動のみならず、弥子が誠一を完全に平和な思い出として処理しきれていないことを匂わせる描写はある……と思ったけど、全部「そういう風に読める(私には)」というだけだなと考えると自信がなくなってきた。本にせよ映画にせよ普段ものを考えて鑑賞する習慣がなくてネウロも深く考えずに読んで後から少しずつ「こここういう風にも見える」みたいなことをちょっと思ったり人の感想を読んで納得するような感じだったので。

随分話が逸れたので元に戻します。とにかく漫画においては弥子の父親の事件に対する感情の動きというものはあまり描写されていないもしくはそれほど分かりやすくは示されていない、と言うことができる。これを松井先生の技量の不足あるいは不親切と捉えるか読者の読解力不足と捉えるかはまた別の問題とします。この方かなり計算して描いている印象を受けるのでこれも計算だと思いたい部分あるけど。偶然の産物にしろ、読者は時折「ああこの子まだ完全に振り切ったわけじゃないのね」ということを思い出してすぐに忘れ、そしてたまにはっきりした描写が入るとこの世界の弥子の周囲の人間と同じように「この子は強いのではなく周りに迷惑や心配をかけまいと我慢してしまうのだった、自分の感情を隠すのがうまいのだった、ついそれを忘れてしまったのだ、ごめんね、ごめん」という気持ちを追体験する。

これをもう少し分かりやすく表示しようとした結果があのアニメ弥子であると考えてみる。私は弥子が漫画に比べて感情的で説教くさく見えて飛影はそんなこと言わない現象が発生しアレルギー的に拒否反応を起こしてしまった訳だが、冷静に振り返ってみると「父親を惨殺されたトラウマを抱える普通の女子高生」感という点に限って見れば、その描写自体はうまくいっていたのではないか?と思う。