ここは私の日記帳なのでポエムを書いても許して下さい

最初からうわっセンチメンタル〜と思いつつ文章を書いていたらどんどんポエム化が止まらなくなりました。

 

 一時はほぼ毎日(文字通り毎日、平日以外も)会っていた友人とほとんど会わなくなった。メールのやりとりはしているが毎日ではないし、向こうはどうか知らないが私は常に投げっぱなしのつもりで書いているので、返事が必ず返ってくるようなものではない、多分。彼女は忙しいのだ。私と違って。

 四月になれば彼女は(うまくいけば)ここを出ていく筈だし、あの頃のようにしょっちゅう会って、たまに遊びに行ったときあまりに毎日喋っているせいで話題がない、というようなことはもう二度とないのだと思う。それに、全方位に気を遣い過ぎる彼女が極稀に漏らす弱音を聞いて、自分には過積載であるからとコミュニケーションの努力を早々に諦めあまりに好き勝手に生きてきたことや自分の放棄した重荷を誰かが引き受けていたと今更気付く愚かさに頭をかきむしりたくなることももうないのだと思う。後者はいいことのような気もするが、私がそれを知らずに済むというだけであって彼女の負担は何も変わりはしないことを思うとあんまりよくもない。

 彼女がここを出ていくのを取り立てて淋しいと考えているつもりはなかったけどやっぱり淋しいのかも知れない。彼女が許してくれるなら会いに行けばいいと軽く考えていた。それに私だっていつまでもここにいるつもりはない。早ければ数年後に、私はこの美女と悪臭と放置自転車と強姦と引ったくりと美食に溢れた故郷を出たい。でも、当初考えていた計画にうまくのれていたら私は何もしなくても数年後にここを出る筈だったが、失敗した。失敗したのでこのままだと私はここで死ぬかも知れない。というか多分死ぬ。私は間違いなく日和ってここに留まる。彼女が新天地で楽しくやっている間に自分だけがどこにも行けずに死んでいく感じがするんだろうなと思うから急に淋しい気がしてくるんだろう。

 考えてみると、そもそもここを出ようかと思い始めたのは彼女がきっかけだった。彼女が外へ出るなら私も出ようと思った。同じところに行きたかったわけではない。彼女が外へ出ようかと思案しているのを見て、可能性があるならやってみるべきだと言った。可能性なき絶望ほど恐ろしいことはないのだから((C)松井優征)。正確には義務でなく命令の形でやれと言った。そしてその言葉は私から彼女にだけでなく私自身にも向けられるべきだと思った。他人に発破をかけるなら自分も危ない橋を渡らなければ無責任だ。それが正しいと思って他人にまで口を出すのなら実践して正しさを証明しなければならない。

 それで、そうした。試みは完璧に計画通りとはいかないまでもある程度はうまくいった。少なくとも失敗はしなかった。事情を知らない他人には成功したと思われるだろう。でも円滑にここを出て行くための足がかりを築くことには失敗した。そして私はこのまま早々にここを出るのを諦める気がしている。

 一方で、ここを出たからと言って何が変わるわけでもなし、とも思っている。私はここを出ていけば全てうまくいくような気がしているだけなのだ。多分。自分が変わらなければ結局どこも一緒だ。それならぬるま湯に浸かって日和ることを選んで何が悪い。才能のある人間はそれを生かせる場所へ出ていった方がいいと思うが、クズがA地点からB地点へ移動したところで何になると言うのだろう?

 

 ダメだ、何を書きたいのか分からなくなってきた。いろいろ考えたけど、やっぱりできれば将来ここを出ていきたい。そんなことより、私の両親ができなかったことをやろうとしている友人の挑戦がうまくいくことを願っています。まず間違いなくうまくいくと確信しているので願うまでもないと正直思ってるけど。うまくいったときの祝いと餞別の品をもう今年の頭くらいから決めている。