チラシの裏

何か全部間違ってる気がするが、書いちゃったのでそのまま出す。こういうときは閲覧者が少なくてよかったと思う。いるかどうかわからないけれど、もし読んで下さった方がいらっしゃったら本当にありがとうございます。そして「全部間違ってる気がするが、書いちゃったのでそのまま出」したような文章を読ませてすみません。

 

 大抵なんにおいてでも、自分はちゃんとしたいし一生懸命やりたいけど他の人は勝手にすればいいし、必要以上に一生懸命やることを強制される空間は気持ち悪いと思っている。他の人の邪魔しなければ勝手にすればいいじゃないか。

 クラブ活動なんか特にそうだ。例えば自分は勝手に自主練するけどそれが義務付けられると途端に萎える、とか。熱血っぽい空気、体育会系の空気が嫌いだ。と言いつつ私はかなり権威主義的人間なのでそういうものに同調しやすいし本心では嫌いではないのだと思うけれども。やる気がない人はやる気がないなりに必要最低限のことをやればいい。それが嫌なら「最低でもこれだけはやって欲しい」という明示されたラインを引き上げればいい。そういうのを空気を読ませてやらせようっていうのが嫌だ。

 マナーとか言葉遣いも割とそういう風に考えている。流石にずっと口を開けてものを噛まれたら不快だし、全ての文頭が「ていうか」で始まったらそれもやっぱり不快だろう。仮に私がそういう人の上司であるならば、重要な取引先との会食の前には注意を与えるかも知れない。でも隣に座った知人が握り箸でものを食べていようと、全部ら抜きで喋ろうと、「あああ」とは思うし気になるけどそれは不快とは違う。それに、言葉遣いは変化するものであるからある程度は許容した方が精神衛生上いいような気がする。例えば、一所懸命を一生懸命とするのは誤りであるというのは今の時代では少し無理があるし、これくらい定着した言葉すらも気に病んでいたらきっと日常生活に支障が出る。

 こう考えてみると、人には多分「ここまではどうでもいいが、ここからは気に障るしできることなら口出しして修正させたい」という線引きがあって、私はその線引き——というよりハードルと言った方が分かりやすいか?——がどちらかと言えば高いというだけの話なんだと思う。

 と書いたところでようやく気が付いたけどクラブ活動の話とマナー及び言葉遣いの話は違いますね。マナーや言葉遣いは正解を大きく外れていればいるほど人を不快にするというような単純な話ではないね。でも書いたのがもったいないのでアップします><

 

ブログのテーマを変えようとしたが、今使っているものに慣れてしまって違和感が拭えないのでやめた。一カラムだとちょっと本文が暑苦しく感じるようになってしまった。