無題

・多分この話前も書いたと思うけど書く。何故か昔からいわゆる毒親というものに対する憎しみが異常で、そして何も知らずに「親を大事にしないなんて!」とか「子供を愛さない親なんているわけない!」とか言い出す奴に本当に殺意を抱くんだけど自分がそういう経験をした訳でも身近にそういう経験をした人がいる訳でもないのにどうしてこうなのかよくわからない。姫野カオルコの『ドールハウス』の登場人物の女医がまさにそういう奴で主人公もその女医に対して殺意を覚えるんだが、「貴方が手を汚す程の価値なんてそいつにはない、私が殺す」って思う程度には憎かった。今でもこの女医はフィクションの登場人物殺したいランキング一位(但し川上未映子『すべて真夜中の恋人たち』の水野が同率一位)です。昔こういう話を人にしたことがあって(女医以下の下りは除く)、その人は「そういう考えがあるのは、毒親持ちの人にとってみれば理解者がいるということなのだからいいことなのでは」と言われたがあまりそうは思えない。自分では義憤に駆られているつもりの奴が一番面倒なんではなかろうか。その人は私のことを思って肯定的に言ってくれたんだろうから額面通りに受け取るのがそもそもおかしいんだけど

・「人間の正義感の根源って何なの?」とか真面目なことを考えたけど、「ネウロってDR戦とか見るとすごく正義側に立ってるみたいに見えるけど、取った行動がたまたま結果的に人間の正義感に似てただけで、少なくともあの時点ではあれは自分の餌場の保護という観点から来るものだろ?」という考えから発展したものだし、そもそもの始まりは「魔実也様と芥辺さんとネウロだったらネウロの方が芥辺さんより人でなし度は低いよな、下手すると魔実也様より低いかも、少なくとも怪奇篇の魔実也様ならDRなんて放置だろうし(ちなみに黒贄さんは正義感が斜め上にぶっとんでるので除外)」だからやっぱりいつも通りだった