You probably couldn't see for the lights以下略

 タイトルが長過ぎると思う。

 いいなと思ったバンドや曲が「Arctic Monkeysのパクリ」とか「Arctic Monkeysが好きなのはわかった」とか言われたり、あるいは当人がArctic Monkeysを好きだと公言したりしていることが多かったのでやっとこさ聴いてみましたが、もっと早く聴いておくべきだったと思いました。

 歌詞に定評があるようなので(Wikipedia情報)見てみましたが、私の英語力ではよく分かりませんでした。内容は大体分かるんですけどどこが凄いのかまでは分からない。

信頼できない語り手

 今書く必要性は特に無いんですけど、昔ショックだったことの話。

 2003年に『流転の王妃・最後の皇弟』という単発ドラマがあって、タイトルから予測が付く方もおられるでしょうが、嵯峨浩が主人公でした。面白かったので満州にちょっと興味を持ったり、愛新覚羅溥傑と嵯峨浩に対して好印象を持ったりしていました。余談ですが、2008年の単発ドラマ『男装の麗人〜川島芳子の生涯〜』を見たのはそのためであって、何もこの時点で既に「男装の女性好き・戦乙女好き」を発症していたためではないと信じたい。

 小学生だったか中学生の頃に原作のひとつである愛新覚羅浩『「流転の王妃」の昭和史』を古本屋で見掛け、もちろん購入しました。夢中で読んでいた覚えがありますが、今覚えている内容は、

・義母か誰かがアヘン中毒になる

・溥儀が晩年植物園で働いていた

・購入の際は気が付かなかったが後書きだけに前所有者の書き込みがあり、しかもかなり政治的な内容だったためがっかり

と、

天城山心中について

くらいです。後書きの件は本の内容に直接関係ないしね。

 問題はこの天城山心中なのです。件の本には「どう考えてもこれは無理心中に違いない!だってこれこれこういうことがあったんだもん!警察おかしい!ひどい!」という論調で記述されていました(実際にはこんな感情的な口調ではありません。基本的にお上品な奥様という感じの文体でした。実際良家の方ですし)。それを読んで当時の私は「ふーん、ひどいな」と思いました。特に筆者に同調して憤慨、ということはありませんでしたが多少同情はしましたし、筆者が自分の主張の根拠をいくつも挙げていたために、当然考えられる「娘が自ら死を選んだと思いたくないがために考えが偏っている」という事態は考えませんでした。

 それから随分経ったとき、何かの機会に偶然「天城山心中」の文字を目にしました。ああこれはあの愛新覚羅慧生の無理心中事件じゃないか、と思って検索してみたところ、どうも実際の状況は嵯峨浩の主張とは多少なりとも異なるらしいということを知って愕然としました。

  しかし何が一番衝撃だったかって言うと、愛新覚羅慧生の父であり嵯峨浩の夫である愛新覚羅溥傑は同意の上での心中だと考えていたということです。「娘が自ら死を選んだと思いたくない」というフィルターがかかっていてもおかしくない実の父親も同意の上での心中だと考えているくらいなのに、ということは実の父親も同意の上での心中だと考えざるを得ないような根拠が多くあるのだろうにも関わらず嵯峨浩は「どう考えてもこれは無理心中に違いない」という主張をしていたのか!ということが大変ショックでした。

 当時溥傑は家族のもとから離れていた訳ですから正確な状況判断はできないだろう、というのを差し引いても、です。慧生から手紙で相手の男性との交際に対しての同意を求められたという事実は大きいと思うのですが。

 

 私は漫画や小説でも主人公側に偏った見方をしがちですし、評論文のようなものでも一度読むとよっぽどのことがない限り疑わず鵜呑みにしてしまうことが多いです。特に『流転の王妃の昭和史』に関しては、もともと嵯峨浩に対して持っていた好印象もあり(、馬鹿みたいな理由ですが文体も感じが良かったし)、より全面的に信用していました。それだけにこれはショックでした。「娘の死は無理心中だ」と思うこと、それを主張すること自体が駄目なのではなく、その主張に反するような事実を全く提示せずひたすら自分の主張を通そうとするのが私には駄目でした。

 そう言う訳で、嵯峨浩 - Wikipediaのこの記述

『貴妃は毒殺されたか―皇帝溥儀と関東軍参謀吉岡の謎』(入江曜子、新潮社、1998年)

本書にて、入江は『流転の王妃』における吉岡安直への中傷の真実を暴くと共に、浩を大変な自己顕示欲と偏見の持ち主であったと批判している。 

も強ち間違いじゃなかったりするのかなあと暗い気持ちになります。 

 

 

でも夢幻魔実也様のこと考えてたら元気になりました!!!魔実也様に弄ばれて捨てられて自殺したい!!!!!!!