なぜか『闇への供物』はミステリだと思っていた

 ふと気が付くと家の目の前の公園の桜が見頃だった。

 そういえば私は朝早く家を出るか(常に遅刻ぎりぎりなので脇目も振らず早歩き)、出ない・夕方以降に出る時はネットか勉強かでひたすら引きこもっているので外なんて見ないんだった。

 確か次の日曜日はサークルの花見で、行ってもいいかと思っていたんだけどその準備の場に欠席してしまったし友達の一人が行けないと言うので彼女が行かないなら行かないと決めてしまっている。この文章読点の位置がおかしいと思うんだけど、一つ付け加えると更にもう三つくらい付け加えなければおかしくなる気がするしそうなると読点が多すぎると思うのでもうこのままである。今気が付いたが、私は読点が多すぎる文章よりは少なすぎる文章の方が好きみたいだ。舞城王太郎の長い一方で読点が無くて窒息しそうな文章も結構好きだったし。『阿修羅ガール』しか読んでないけど。

 昨日、いや日付はもう今日だけど、ヴァーホーベンと園子温(一発変換出来ないのでいらいらする!)について言及した。言及?そんな立派なものでもないが「書いた」と書けるほどの内容を書いてない。何て言えばいいんだ。とりあえず、映画に関しては「こういうのが好きだと格好良い」とか「こういうのが好きだと格好悪い」の壁を自分の好き嫌いが越えられたので良かったなあと思う。何度か書いたが、私は中二病的格好付けを引きずって「こういうのが好きだと格好良い」「こういうのが好きだと格好悪い」で自分の好みを決めてしまっていたので今に至るまで自分の本当の好みがよく分からない分野が多い。

追記

 最初舞城王太郎の作品名を『好き好き大好き超愛してる。』と書いていたけど『阿修羅ガール』の間違いだった。『好き好き大好き超愛してる。』というタイトルのインパクトが強すぎるせいだと思う。『阿修羅ガール』の世間的な評価はいまいちだったような気がするが私は結構好きだった。