私は抜け駆けをしたい

 友人と遊ぶ。散々ここに書いている「友人」とである。

友人と関わるのが億劫と言っている人がちょっと羨ましい

 私はコミュ障ではあるので例えある程度気を許した友人であろうと接すると疲れるのだが、早く離れたいとは一切思わない。相手が誰であろうと常に別れ難いし、好きな相手であれば尚更である。ちょっと前に「友達と遊んだけど、人と関わるのがめんどくて早く一人になりたかったので、もう少し遊んでも良かったんだけど帰って来た」という感じの文を読んだ。私はこういう気持ちには一切ならないし、そもそも相手に「早くこいつから離れたい、帰りたい」と思わせる側である。だから本当は出来るだけ長く一緒にいたいのだけど、相手が解散を提案したら絶対に乗ることにはしている。私に出来ることはそれくらいだ。帰りでいつも「ああもう少しでいいから一緒にいたかったなあ」と思っている。

 どうせコミュ障で相手に迷惑を掛けるんだったら、私に「一緒にいたい」という気持ちが起こらなければいいのに。

抜け駆けをしたい

 この友人に対しては散々意味不明な供述を繰り返してきたが、私は要するに彼女の中で特別な人間になりたいんだろう。私が男で彼女に恋愛感情を抱ければ良かったのにとか言っていたのも、そうして上手いこと付き合えれば私が彼女の中で特別な人間になれるからだ。

 しかし恋愛に関してはそういうことができるが友人関係においてはできない。友人関係において、特別に好きな人に告白をして特別な友人として付き合うというような慣習があったら絶対にやってるのに(意味不明な供述パート13くらい?)。けれど現実はそうではなく、親友と言うのは例えば長い付き合いであったり気を許せる程度であったり、そういうものによってお互いが「私たち親友だよね」と思う/言うことによって成立するものなのだ、多分。恋愛において、あなたは私のことを何とも思ってないだろうけど私はあなたのことを好きだから付き合ってくれませんか?と言うことはおかしくないしそこから恋人になることだって十分に考えられるけど、友人関係において、あなたと私は大して付き合いが深くないけど私はあなたのことを好きだから親友になってくれませんか?というのはちょっと変だ。恋愛において一方的な思慕はおかしくないし実を結ぶ可能性もあるが、友人関係において一方的な思慕は不健全だ。良くない。

 でも私はこの人のことをすっごく好きだし大事に思ってて、この人がすっごく好きで大事に思っている人たちを差し置いて一番になりたい。完全に危ない人間なのは分かってるし、これが彼女自身の魅力だけでなく私の友達の少なさによる一人一人の友達への執着心の強さも影響しているということも分かってるし、彼女にとっては多分気持ち悪いし迷惑以外の何物でもないんだろうとも分かっていて、だからなるべく迷惑をかけないようにはしてるつもりなんだけど(できてないんだけど)。

自虐について

 この友人は自虐ネタが多い。とても。

 それが彼女自身の人間性に関するものであれば私は全力で否定するのだけど、見た目に関するものだと何と言っていいか分からなくなる(もちろん実際には否定している)。

 私は実のところは彼女の容姿を彼女自身の言う通りに受け止めているのかと思って改めてよく考えたのだけど、多分特に何とも思っていない。絶世の美女だともモデルのようなスタイルだとも思っていないが、普通以下の容姿だとも一切思わない。少なくとも中の上以上はあるはずだ。

 ただし私は人の容姿に関して、「好み」と「好みでない」に二分した上で、「好みでない」は極端に美しいか極端に醜くなければ全て「普通」としか認識していないんじゃなかろうかと思う。だから彼女の実際の容姿は多少美人・多少不美人かも知れないが、例えそうだとしてもよく分かっていない。

 この人と話していると「自虐の多い人は困る」というのはこういうことなんだろうと思う。そうは言っても、困りはすれうざいとか迷惑とは思わない。ただそれは私自身が極度に自虐的な人間である以上、他者の自虐にも寛容でなければ「私は自虐ネタを言うことによって人に迷惑を掛けている」という事実を直視しなければならないからだろうなとも感じている。