受かっても受からんでもどっちでもいい
昨日の日記
昨日は美容室に行った。
以前パーマをかけてから毎回パーマをかけ直し続けて昨日まで来ていましたが、今回は切ってもらっただけです。パーマに比べたらずっと安いからこれくらいいいかと思ってシャンプーもしてもらいました。でもパーマをかけていた時はその時で、どうせ高いんだからちょっとくらい増えても変わらなかろうとトリートメントとかしてもらってたんですよね。馬鹿か。しかもトリートメントに比べて特に得るもの無いし。
美容関係で無駄遣いすると自責の念がすごい。ブスだからさ。
今、桜風味の煎茶?を飲みながらこれを書いているのですが、最初に香りを嗅いだ時に「うわっ桜餅の匂いだ!」という感想を覚えたので私は何と風情の無い人間なのだ…とがっかりしました。ところで何故かさっきから「ない」を変換すると真っ先に「亡い」と変換されるのですが何でこんな中二病仕様に。
俺の左目が疼くぜ
先の連休の始め頃にものもらいらしきものができました。痛み等の症状がそれほどひどくなかったこともあり、「これが噂のものもらいか…!」と妙に興奮しました。こういうのはあまり病気をやらない人間にはありがちだと思います。眼帯を付けることになるのかなあと中二病的な期待感でいっぱいになりつつ連休が明けて病院に行けるのを待ちましたが、その頃には完治していました。残念ながら。全くお前(ものもらい)にはがっかりだよ。
結果を薄々予測しながらGoogle画像検索で麦粒腫を検索すると結構「うわあ」って感じの画像が沢山出てきました。それどう見てもものもらいじゃねえだろというものが多い(しかもそういうのに限って心臓に悪い)のですが、いやがらせですか。
A chúisle mo chroí
健康であることしか取り柄が無いので積極的に献血をしていきたい所存。だったのですが「健康であることしか取り柄が無い」というのは私の勘違いだったらしく、健康ですらありませんでした。 極度に鈍感だったので体調不良に気付かないだけのことだったようです。最近は『動物のお医者さん』の菱沼さんにちょっとだけ親近感を覚えるようになりました。とろいし、緩慢且つ予測不可能な動きをしている自覚はあるし。菱沼さんの方がずっと優秀な方ですが。
話が逸れましたが、献血をしたいのです。でもできないのです。貧血という程でも無いが献血はできない程度に血が薄いらしく毎回断られています(そうです、私は断られても往生際悪く複数回行っているのです)。どの方も「次は大丈夫かもしれないから、これに懲りずにまた来て(要約)」と仰るのでそれを真に受けてまた行ってみようかなとも思うのですが、忙しいところを手間取らせた挙げ句献血できないのも申し訳無いと考えると迷います。
せめて血液でぐらいは世の中に貢献したかった。くやしいのうくやしいのう
貧乏舌
そういえばこのあいだハーゲンダッツのオペラを食べました。
以前ドルチェシリーズを食べた時に「美味しいけど期待した程ではない」と思ったこともあり、普通のより高いものは敬遠する傾向にありました。ただでさえハーゲンダッツ高いのに、もっと高価だなんて相当の敷居の高さですよ。でもネットでのよい評価をたまたま目にして気になっていたので食べてしまう。
すっごく美味しくって感動しました。アイスの域を超えてる。でも今よくよく考えてみると、あれより安い値段でチョコレートブラウニー味が食べられるんだったら別にそっちでもいいや。
私も謎めいた美女にお前と呼ばれたい
ディストピア物が好きなのでこれを読んで大変興奮しております。
私にとって、ディストピアにおいて重要なのは閉塞感とか絶望感です。そういう点から言えばやっぱりジョージ・オーウェルの『1984年』が最高なんですけど、ヒロインがいまいちなんですよね。その点!ザミャーチン『われら』はヒロインがとっても素敵!!エロい!!
徹底的に未来を叩き潰される感が薄く、まだ希望が残っている感じがあるので(というか、『1984年』が徹底し過ぎているだけなのかも知れませんが)ディストピア物としての感想は「最高」とまでは言えないんですけど、でもヒロインはまじですごくいいと思います!!!!