八つ当たり

私には兄弟はいない。

しかし私には兄弟がいた。

 

 私には一瞬弟がいた。その一瞬がどれほどだったのか私は知らない。正確な誕生日も命日も知らない。両親には訊きたくないし、何度か住民票を取った時に確認したが忘れてしまった。母は春先に仏壇にケーキを供えるから、誕生日は春頃なんだろうとは思う。私はそれが気に食わない。ケーキのおこぼれも嬉しくない。

 

 私はこの頃、浴室で自分が何をしたか思い出せないことがよくある。自分が体を洗ったのか洗っていないのか、シャンプーしたのかしていないのか、シャンプーはしたけどトリートメントをしていない気がするけどどうだったのか、考えても思い出せずにとりあえずもう一度洗ったりシャンプーしたりトリートメントしたりしている。一連の動作が習慣化されて何も考えずにできるようになっているからだよな、と今日考えていた。ずっと前から同じ現象がしばしば起きている動作があることに気が付いた。正確には気が付いていたことを思い出したと言うべきか。

 私は仏壇にお茶とお水を供えたのか供えていないのか、あるいは線香をあげてお参りしたのかしていないのか思い出せないことがしばしばある。しばしばと言うよりはほぼ毎回と言って良い。故人の弔いの儀式なんて単なる習慣と化したらいけないものの筆頭のような気がするしまずいよなとは思うが、こうなってしまった以上仕方が無いじゃないか。仏壇にお茶をあげるように言われてふと気が付くとすでに蝋燭の火は消えていて、私はちゃんとお茶を替えたのか鈴を鳴らしたのか手を合わせたのかその全てに自信が持てないまま次の動作に移る。

 

 私は弟にまつわる大抵の事柄が気に食わない。両親が弟の話をするのが気に食わない。楽しい話だと私は殆ど覚えていないから思い出を共有できないのが気に食わない。暗い雰囲気になるのも気に食わない。今まさに食事を始めようとするとそれより先に仏壇にお参りするように言われるのも気に食わない。生きていて腹を空かせた私より死んだ弟が優先なのかと思うと気に食わない。その死んだ兄弟への兄弟葛藤というのが単なる言い訳であることを分かっているから気に食わない。本当は死んだ人間に関わる行為をすることで暗い気持ちになるのが嫌なだけだと分かっているから気に食わない。自分の情の無さが気に食わない。母の実家の仏壇に母から弟の手紙が供えてあるのが気に食わない。そんなの母や母の両親の勝手なのに勝手に暗く嫌な気分になっている自分が気に食わない。死にたいと思った時に「でも子供が二人も死ぬのは気の毒」と踏み止まらなければならないことが気に食わない。「でも好きで生きている訳じゃない、だったら私が死んで弟が生きてればよかったじゃん」と思うことが気に食わない。兄弟構成を訊かれた時に一人っ子と答えながら嘘をついている気分になるので心の中で「今は」と付け加えなければならないことが気に食わない。信頼の置ける人には弟のことを明かしていると語る母が気に食わない。リスクを冒してまで人に語る程弟に対して思い入れが無いから誰にも言えないことが気に食わない。かつて「兄弟姉妹が増えるのならどの続柄が良いか」という質問に毎回義理で仕方なく「弟」と答えていた自分の偽善者っぷりが気に食わない。母が弟を助けられなかった病院を逆恨みしているらしいことが気に食わない。そのことを私に伝えてくる父も気に食わない。弟のことがなければもしかして自分はもう少しはまともな人間になっていたのだろうかと考える自分が気に食わない。この子には言っても良いかも知れないと思っていた友達が、自分の兄弟が死んだことをあっけらかんと話していたという理由で別の同級生を非難していたことが気に食わない。自分も家族を亡くしているからあんな風にあっけらかんとしているなんて信じられないと言うが、ほとんど覚えていない家族と長年一緒に過ごして思い出のいっぱいある家族とは違うし前者についてはそのようにしか語りようがないということに彼女が思い至らないことが気に食わない。経験が無ければ分からないようなことを分かっていないという理由で人に落胆している自分の狭量さが気に食わない。息子を亡くした両親の悲しみを思いやらない自分の自己中心さが気に食わない。

 

 だらだら書いていたら終わり方が分からなくなった。まあいい。

 私の両親は弟を持ち出して私にプレッシャーを掛けたりというようなことは一切しなかったのにも関わらずここまで私は(その多くは生来の性格の悪さに起因しているとは言え)鬱屈しているので、同じような境遇のお子さんの周りの方は気をつけて接してくれているといいなあと思う。