ウルビーノのヴィーナス

 顔を知っている人がネット上で書いた文章を読んでいる。今。

  

 彼女の癖を知っているので、あ、ここ、と気付いてしまうと恥ずかしかった。大体、読もうと決意してから、本当に覚悟を決めて読み始めるまで相当時間がかかっている。恥ずかしいです。

 彼女の筆を通すと、全てが可愛らしく愛しく見えた。えっ、この人がこんなに可愛いはずがない、嘘だ、と動揺したがすぐに分かった。ははあ、これは彼女の愛だなあ、と。

 妻や旦那というよりむしろ母親のような眼で彼らを見ているのだろう。彼女の、好き!可愛い!愛してる!という感情がじわじわと伝わってくるようないい文章だった。育児日記かと思うくらい愛に溢れている。

 

 人間全てにもてない私は「どうせ喪女ですよ、女の子にはモテるんだけどな〜 (´・ω・`) 」などと舐めたことを言う女性に対しては苛立ちを感じる。彼女はまさにそういう「女の子にはそこそこモテるんだけど」と自分で言うようなタイプで、私はそれに一方で納得しながら一方で疑問を感じていた。彼女は私の知りうる中でもかなり女の子らしい女の子だったから。

 それは例えば料理が得意とかお菓子作りが得意とか裁縫が得意とかそういうことではない(とは言え、彼女はここに挙げたものは大体得意だ)。私が言っているのはものの考え方とか感じ方のことです。繊細で柔らかく、何だかんだ言って純粋で健全な精神をしていると思う。

 

 彼女は割とよく泣く。私は一緒に映画を見ている時に「このシーン涙腺に来るな、今きっと彼女泣いてるわ」と予想できるまでになってしまったし、実際それは当たる。私はそもそも感受性が硬直しているのかなんなのかあまり泣けないし、泣きそうになっても恥ずかしいから我慢する。だけど、そういうのってかっこわるい。私は別に「私って冷たい人間だからさ〜」とか言いたいわけではないのだけど、そう言ってかっこつけたい人みたいだ。

 彼女は「女性としての幸せ」にそれなりの憧れと夢を持っている。前述の「女の子にはモテる」発言から予想できるだろうが、彼女は自分を「モテない」と自称しているし、自身の女性的魅力に関してはかなり自虐的だ。しかし「女性としての幸せ」に対する展望はしっかり持っている。私は「もてないのに結婚できるとか思ってんのかよw」と言いたい訳ではない。正直私が男だったら彼女と結婚したいレベルで良い子だし、尊敬できるのだけど今したいのはその話でもない。彼女は自己評価が低いように見えるけれど、そしてそれは今まで私をだいぶ嫉妬に駆り立てていたのだけど、本当はそうじゃないといい。彼女の謙遜や自虐は面白いし美徳でもあるのだけれど、でも辛いならやめたっていいのにと私は思っている。素直に自分を評価してくれればいいのに。いやこれは私の願望だな。自分が辛いからやめてほしいだけだ。

 

 どんどんとっ散らかってきた。友達が書いた┌(┌ ^o^)┐ 小説を読んでるっていう話がしたかっただけなのに。

 

 この人は時折すごく醒めているのだけど、やっぱり基本的には慈悲深いのだと改めて思った。母親みたいだとさっき書いたけどもはや聖母だよあんた。世界を見る眼が愛に溢れすぎ。

 

 彼女は女性としての幸福に対する願望を持っていることを明らかにするのに躊躇いがあるらしく、それを自嘲的に言ったことがあった。そんな言い方しなくたっていいのにと私は思った。彼女はそれを口に出した所で笑われたりはしないし、口に出せば何らかのものが得られるかもしれないのに。

 私は正直言って、本当にそういう願望がなくなってしまった…というか、もともとちっとも持っていなかった気がする。自分が誰かと一緒に暮らしたりできる人間じゃないことは昔から分かっていた。

 だから彼女のそういう所は羨ましいし、かわいいなとも思う。もっと出せばいいのに。この人には十分それを許してもらえる素地があるんだから。

 

ですが!!!現実での知人のそういう願望をむき出しで読むとちょっと恥ずかしいなって!!!!今ちょっと思いました!!!!!! やだこの子かわいい!!!!!けどちょっと私は恥ずかしい!!!!!!!!!