本当にただの日記

覚書

・宝石石鹸

ベルイマン

 

 最近、好きで好きで仕方がなかったけれど作者の方自身がネット上から削除していた作品がリメイクを経てまたアップされていてとても嬉しい。……のですが、その作品が削除されていた理由の一つであった過激さが少しだけれども確実に薄まっていて残念。でも好きであることには間違いない。大体、作品世界における神である作者の決定に対して文句を言う筋合いは無いのだけど。お金払ってる訳じゃないし。

 でもよく考えると文句を言うのもこちらの勝手ではあるような。文句を言うのは勝手だけれど、少なくとも決定権は神にしか無い、というのが落とし所か?ああでもやっぱりただで勝手に見ておいて文句言うのは筋通ってない気がする。それもその作品単体で見ての感想じゃなくて「前の方がよかった」だからなあ。駄目だなあきっと。

 まあヒロインがかわいいからどうでもよくなってきました。

 

 今日(いや昨日ですね)、電車でごく近くにいたお姉さんがすごく気になりました。

 私は割に背が高い方なので、ある程度以上混んでいる電車のドアの近くに立つと場合によっては俗に言う壁ドン状態になることがあります。ドア、(背の低い)女性、私、という位置関係で、更に私の手の置き場が無いけれども電車は揺れるので支えが必要で、仕方なくドアに手をつけば壁ドン完成です。今回はこれにかなり近かったのですが、あまり混んでおらず、しかもお姉さんの背が(もしかすると私より)高かったので壁ドンにはなりませんでした。

 お姉さんと書きましたが、意地悪な人は「おばさん」と呼ぶかも知れない年齢の女性であるようでした。間違いなく美人でしたが若々しさは正直申し上げてあまりありませんでした。フェミニンでやや派手な服——私だったら少し気合いを入れないと着られない——をお召しになっていました。お姉さんは派手な顔立ちの美人で、そのやや派手なお洋服も顔立ちにはよくお似合いだったのですが、ただどうしても若作りっぽい印象は拭えませんでした。髪の毛もやや派手な雰囲気に巻いてあって、どうしても「バブルっぽいな」と思わずにはいられませんでした(色は暗めの茶色で、決して派手ではありませんでした)。でもその髪型も間違いなく似合っていました。ピンクの、長めのネイルチップを付けていて、ごく控えめにラインストーンが鏤めてありました。それも、すごく可愛くて、すごくお姉さんに似合っていたんですけど、でも一般的にはそのような長い爪をしている人の多い年代には見えませんでした。正面も美人でしたが、惚れ惚れする美しい横顔の方でした。白人みたいな綺麗な鼻をお持ちで、そちらに気を取られていたのでよく見ませんでしたが多分Eラインも理想的な形だったと思います。

 何を書いているのかよく分からなくなってきました。知らない美人を観察している私の気持ち悪さだけが強調されている気がします。

 とにかく、どんなに美しい人にも老いは訪れるということが何だか衝撃的だったのです。そして、美しい人の老いは美しいけれど妙な悲哀があるということも。

 そんなことを考えている私をよそに、お姉さんは恋人らしき相手と電話をし、化粧を直し、窓への写り込みで髪型をせわしなく確認した後、終点で電車を降りておそらくはデートへと向かっていきました。

 村上春樹の『スプートニクの恋人』にミュウという女性が出てきます。彼女(美人)について、「しようと思えば若作りできるだろうに敢えて年相応の装いをしていることに好感を持った」というような描写があったと思うのですが、そのことを思い出したりしました。とんでもない美人にとって「しようと思えば若作りできるのに敢えて年相応の装いをする」というのはもしかしたら結構難しいのかもしれない、などと考えましたが、控えめに言っても美人ではない私にはこの考えが当たっているのかどうかは全く分かりません。