なんというポエミーな文章

私の知っている人が鬱病を患っていらっしゃることを知りました。

知っている人と言ってもこちらが一方的に知っているだけで、それもネット上で知っているだけです。

間違いなくいい人、心根の綺麗な人だと一目で分かる文章を書かれる人でした。今もそうです。

ただ、今思い返してみると、あまりに純粋で善良すぎると思わせられる部分があったように感じます。他人から理不尽かつ明確な悪意を向けられたら一体この人はどうなってしまうのだろう、と。

そういうことがそれまで(私がその方を初めて知った時点で)全くなかったわけではないとは思うのですが、多分その方の根本を揺るがすような事態にはなっていなかったのでしょう。

本当に、心配になるくらいいい方なんです。勿論、ネット上の文章だけで人の本性など分かるものかと、もしこの文章をお読みの方がいればお思いになるでしょう。私もそれは分かっているのですが、でもこの人は本当にいい人に違いないんです。ほら!実際に見れば異論は無いでしょう!貴方だってそう思うでしょう!とその方の文章をお見せしたいくらいです。

ものすごくしっかりしていると同時に(良い意味で)子供のような純粋さをお持ちの方なのです。今は汚れて見えるかも知れないけれど世界は本当は美しいものだし、悪人に見える人だっていっぱいいるけれど、本当に根っからの悪人なんていない、本来人は善良なものなのだと信じているのではないかと思わせるような人です。

本人には伝えられないけれど、どうか幸せになってほしいです。私は、私の好きな人・尊敬する人が幸せである以上、この世界はある程度正しいと信じていました。けれど、このような素晴らしい方が幸せになれないような世界なら私は好きにはなれません。

 

ところで、私はどうしても、尊敬すべき人を見つけると、その方を育んだ環境——というか具体的には親御さん、もきっとすごい人に違いないと思い込んでしまいます。この考えは一度盛大に裏切られたことがあったのですが、それにも関わらず懲りていないみたいです。だから私はこの方のご家族もきっと素晴らしい方々に違いない、だってこんな素晴らしい人を育て上げたんだもの!と思っていました。思っていたとすら意識しておらず、当然そうだろうと無意識にそれを前提にしていました。その方の親御さんが、そういう状態にあるその方に対してかなり辛く当たっているということを知って怒りが湧いてくるまで自分のその思い込みに気付いてすらいませんでした。親というものに対する理想や「こうあるべき」という思い込みが激しく、それから少しでもずれると当事者でもないのにやたら腹を立てることにも懲りていません。