終わりの無い憂鬱 灯りは消されてゆく

普段は友人として普通に接している連中相手でも、みんなで飯を食いに行く時とか 

特に壁を感じる 

 

俺が「そろそろ行こうぜ」って言っても、みんな「うんそうだねー」って感じで 

全然動き出さないけど、他の誰かが「行くか」って言うと動き出す 

俺がいなくても何事も無いかのように進むけど、他の誰かが欠けてると 

そいつに連絡取ったり待ったりする 

 

俺以外の奴が財布を取りに行ったり便所行ったりするとみんなそれを待つけど、 

俺が靴ひも結んでたりしてても完全無視でみんな先に行く 

どの食堂に行くかという話で俺の案は採用されない 

食べ始めるのはみんなが席につくまで待つのが基本だけど、俺が最後のときは 

みんな既に食べ始めている 

 

食後、普通は食器を全員が片付けるのを待ってから食堂を出るのだが、 

俺が最後のときはみんな先に帰り始めている 

横に並んで歩いている時、俺の両隣りが徐々に迫ってきて遂には俺は後ろへ 

追いやられて、みんなの後ろをトボトボ歩く羽目になる 

誰かが購買に寄るとみんなついていくが、俺が行くときは誰もついてこない 

 

これらの行為は作為的なものではなく、無意識なものだと思う 

みんなが特に俺への接し方に差をつけてるのではなく、ただ俺の存在や影響力が 

薄すぎるだけなのだろう 

たぶん、俺だけこんな空気な扱いになってることにも気付いてない気がする 

みんなのことは憎くないけど、自分の不甲斐無さが憎い 

 

こういうことが続くと、一人が楽だなーって思う

 今日このコピペのことを思い出したので少し書いておこうと思う。

このコピペに対して、私は共感する一方「何言ってんだこいつ」とも思っていた。

私は幸いにしてここまでの状況になったことは無いように思うが、自分が「存在や影響力が 薄すぎる」人間だとは分かっていて、だから自分がどのように扱われようが、それが積極的な攻撃でなく「空気な扱い」であれば不満に思ったことは無かった。

ただ最近…というか大学入学以降、身の程を少し忘れていたようです。

私は小学生時代の後半から中学時代までをスクールカーストの最底辺、不可触賤民としての位置で過ごした。私だけがそうだったわけではなく、多くの友達が同じような扱いを受けていたし、そもそも私の通っていた学校は極度に民度が低くカースト間格差が大きかった。だから私はそれをいじめだと思ったことはないし、今でもいじめとは言い難いように感じている。少なくとも一般的に「いじめ」という言葉で想起されるようなものとは異なっていて、例えば当時の私の扱いを喪女板で書いたなら「同じようなことされた、それが当然だと思っていた、いじめだとまでは考えなかった」という方は多くいるだろう。ただ、当時から、「もしこれが、(1)民度の高い集団の中で(2)特定の一人に対して 行われたならそれはいじめと呼ばれただろう」とは思っていたが。

高校に入学すると一気に状況が変わった。可愛くて頭の良い天使のような女の子たち、それもクラスのリーダー格のような女の子たちまでもが私と普通に口を利いて雑談をしてくれた。私は面食らったし、このために中学で鍛えられた(笑)精神的防御力を失うのではないか、そしてそうなったらこの集団から離れた時(即ち大学入学時)に困る!!と悩んだ。ただ、彼女らは優しく接してくれたが、その一方で私を「存在や影響力が 薄すぎる」人間だと分かっていることは伝わってきた。ある人々は上のコピペのように無意識にほんの少し壁を作り、またある人々は反対に壁を作ってはならない、そうならないように気をつけなくてはと無意識に緊張していた。無意識と言うのは言い過ぎかも知れない。なんとなく感じ取っているし、自分が感じ取っていることに気付いてもいるんだが敢えて「こいつは地味だな、空気にならないようにしよう!!」と意気込みまではしない感じ。

 大学に入学すると私の危惧をよそに更に壁は薄くなった。皆私の存在や影響力の薄さには気付いているのだが、それを気にしないようにすると同時に、それ故に私が空気にならないようにと少し気を使って手を回すという一見矛盾することを器用にやってくれる人が何人もいたのだ。しかも、私が一番一緒に行動していた人はこの点において天才的な才能を持っていた。でも私に壁を一番意識させているのは彼女だった。当然ながらそういう人はコミュニケーション能力が高いし、それを除いても無数の魅力を持っていたので彼女は誰にでも好かれた。彼女を好きにならず、彼女に好かれたいと思わない人がもしいるのなら心から不思議だ、純粋に理由が知りたいから何故なのか尋ねたいと思うくらいだ。そんな彼女のことを皆はとても好きなので、普段は私を空気扱いしないように気を使える心優しき人々も私と彼女が同じところにいると扱いに差をつけてしまう。私はそれを不満には思わない。差をつけていると言ってもほんの少しだし、私という人間の価値を考えればこの扱いでもかなりの過大評価、もっと軽んじられるのがふさわしい。彼女が大切に扱われるのだって当然だ、もっとちやほやされたっていいくらいだと思う。尊敬する大好きな彼女が愛されていて何の不満があるでしょうか。大体私だって他の人と彼女に差を付けているんです。私が彼女を贔屓するのと同じように周りの人が彼女を贔屓しているのだから、私が何の文句をつけられましょうか? では何が問題なのかと言うと、私と彼女の扱いに差をつけていることに相手が気付いていないということです。表面上同じに扱っているつもりだから対応に困ってしまう。例えば私にも関わる話を相手が彼女にだけ伝える。私は彼女を経由して話を知るけれども相手から直接聞いていないので、相手が彼女だけに伝えるつもりだったのかそれとも彼女から私に伝わるだろうと思っていたのかわからない。そこで彼女にだけ伝えるつもりだったのだろうと初耳ですという顔をすると相手は驚く。あ、これちょっと例えが悪いですね。でもなんかこういう感じなんです。相手は無意識のうちに差をつけ、私はそれをなかったことにすべきかどうか悩み、確かにあったのだからなかったことはできなかろうとその差を意識して行動すると相手は訝しむというのが大抵のパターンなのです。いくら私がコミュ障とは言え、さすがに大抵の場合相手が無意識なのだろうと認識して何事もなかったかのような態度でいますけれども、たまに対応に悩む時があるのです。「もしかしたら無意識ではないのかもしれない、いや多分無意識なんだろうけど、相手が無意識でそう望んでいるのなら空気を読んでこの場から消えるべきなのでは」みたいなことがたまにあるんです。そういう時、このコピペを思い出したりする。

何で敬体と常体入り交じってんだろうな。

あと繰り返しになりますが彼女のことは本当に大好きだし、尊敬を通り越して崇拝と言ってもいい感情を抱いています。扱いに差があるからと言って彼女に対して否定的になることは誓って有り得ません。

 

追記

私は本当に彼女のことが好きで、出来ることならずっと一緒にいたいとかばかみたいに考えるのですがその一方で彼女から離れるべきじゃないかと思うこともあります。彼女は私みたいなゴミに時間を裂くべきでないし万が一悪影響があるとよくない、という以外に、私にとってそうすべき理由(つまり、彼女が私と一緒にいて彼女に生じる不利益でなく、私が彼女と一緒にいて私に生じる不利益)はあることは感じたいたのだけどずっとそれが何なのか明確に理解できませんでした。多分、単純に好きな度合いが異常だから離れて頭を冷やしたほうがいいからというのと、上に書いたように私と彼女であまりに人間としての出来が違いすぎるために周囲の人々から扱いの差が生じることへの対応に困ることが非常に多いからです。私の無価値さを再認識させられて辛いとか以上に、とにかくどういう反応をすればいいのかさっぱりわからないようなことがすごく多いし困る。