彼岸を往ける女よ、

うわあああああたびしカワラんがあああ

 

作者さんへの拍手に瓦屋ちゃんぺろぺろって書こうかと思ったが流石にそれは…と思ってやめました。瓦屋ちゃんかわいいよぺろぺろ

 

突然気持ち悪い話をしますが(↑は気持ち悪くないと言うのか?)、例えそれがその人と自分との別離やその人から自分への好意を失うことを意味していようと、その人の幸せを考えて行動し、そのためなら自分はどうなってもいいと考えることというのが私の愛の定義です。上記の意味での愛を行使できるような人間になるための精神的一歩を最近踏み出せた気がするので、少し、自分は前よりは1ナノメートルくらいはマシな人間に近づいているのではないかと、調子のいいときは思える、かもしれない。

あと、愛の定義がこれで、私が異性に求めることは「尊敬できること」なので、これじゃあ同性でも満たす可能性があることに気付いたので困りました。男性に性的な魅力のようなものを全く求めていない訳ではないのですが、私の中で「尊敬できること」と例えば「黒スーツ」とか「30代後半〜40代前半」とか「私の後頭部の髪の毛を鷲掴みにしてくれる」とかいうのは全く違う次元に存在していて、後者の要素はある種のファンタジーなんですよね。彼氏のいる女の子が、「一夜限りの恋ってちょっとしてみたいよね」と言いながら、でも彼氏を愛していない訳ではなく、そして実際に彼氏を裏切る訳でもない、というような。現実の自分の愛とは全く切り離された空想上の「あったらいいな」なんですよね。尊敬できて、その人の幸せのためなら何でもしたい、と思うような人が男女ともにいたら私はどう考えればいいのだろう。どちらに対しても単なる尊敬の感情であって恋愛のようなものでは無いのなら問題にならない。男性には恋愛感情を持つけど女性には持たない、というなら、一体この二人のどこに違いがあるのか?異性だからというだけで好きになって同性だからというだけで好きにはならないのか?という話になってしまって、私は一体何を恋愛感情を覚えるか否かの基準にしているのかを考え始めねばならないし、両方に恋愛感情を抱くというのなら、私両性愛者かよ、という話になるし。分からなくなってきた。

以前、恋愛感情か否かの判断の方法として、「寝たいかどうか考える」というのを見たことがあった。でもこれも私にとってはいまいちで、というのは、女性に対しては「寝たくない」と思うけど、大抵の男性に対して「よくわからない、もし相手が寝たいと言うなら寝てもいい気がする」と思ってしまうのである。多分、積極的にどうしてもこの人と寝たいと思ったことが無い。範囲を身体的接触全般に広げると少し話が違ってくるが、そうすると、私は同性とのスキンシップは嫌いではない方なので(といってもそれ自体が好きというよりは、それを許してくれる程度には相手私のことが嫌いではないという事実が嬉しい)、今度は性別による差異が少なくなってきてしまう。

 

何書いているかわからなくなってきた。寝ます。