非実在小学生

1箇月文章を書けないほど忙しかったのかというとそれほどでもなかった。

 

もし万が一本人が(あるいはこの会話を聞いていた周りの人が)見ていたらもう言い訳しようがないくらい私が誰かわかってしまうのだがもういい。友人でもない男性を下の名前っぽいもので呼ぶことにずっと抵抗を感じていたのですが、本人に聞こうとしたら「あのさあ前から思ってたんだけど、いくら本名ではないとはいえ、」ぐらいで食い気味に「別に○○○でいいです」って言われました。エスパーか?イエーイ○○○君見てるぅ?(AA略)というわけでもう安心してこのまま行こうと思います。だから私のことが気に入らなくてもその点に関しては怒らないでくれよ!気安く呼ぶなクソがとか思う前にその呼び方やめてくれと言ってくださいお願いします。泣くぞ。ブスの気持ち悪い泣き顔を見たくなければその前に…と自分で書いてて気持ち悪くなってきた。

 

麻美さんの状況が私が想像していたより悪いらしいことをyoutubeに上がっていた何かのニュース映像を見て知りました。そして泣いた。泣いたけど、私は「セクシー女優」というようなものの言い方にかなりイライラするほうなので「AV女優」ではなく「恵比寿マスカッツというアイドルグループに所属するアイドル」みたいな扱い方に割とイライラした。そこぼかしたいなら朝に流すなよ。あとどうせ使わないまま終わる私の生殖器官あげられるものならあげたいと切実に思った。

 

七夕の短冊を人のために消費した。私ってば何て友達甲斐のある奴☆と少し思ったが、本当に友達甲斐のある奴は祈って終わらせるのではなく具体的な犠牲を払ってくれる奴だろう。短冊に書いて、酒飲んで本人をけしかけるくらいしかやらないのはただの自己満足である。

 

家庭環境のことを話題に出されると大概少し困る。私は親というものに対する期待というかハードルというかが極端に高いので、大抵の親に対して、いや少なくとも「親のこういうところが嫌なの」みたいなことを私に言ってくるような人の親に対して、「なんてひどい親だ!毒親だ!いい親なのに私みたいな娘しかできあがらなかった私の両親と換えてあげたい!」と思う訳です。でも本当に虐待を加えているような場合はともかく、そうでない場合に人の家庭にいろいろ口を出したり、人の親を悪く言うのはどうかというまともな自制心がこの年にしてようやく身に付きだしたのでそこで葛藤が生まれます。

 

間違えて使用中のトイレのドアを開けてしまう、という経験は誰しも少なからずお持ちだと思いますが、顔を知っている男性という範囲に限定すれば2度目を最近やってしまいました。本当にすみません。でも私だって全く本意ではない。そういう趣味は無い。とりあえず1度目に比べての進歩は「お尻を見ずに済んだ」ということです。今回やらかした直後、1度目の男性もその場にいらっしゃったので改めて謝っておきましたが、「でも今回はお尻を見てないんですよ」と茶化すことはできませんでした。そして1度目に比べて悪化した点は「今回は三次元の恋人をお持ちの方だった(しかも座に同席していらっしゃった)ので謎の罪悪感の増大があった」ということです。彼女にも謝るという割と斜め上の方法で解決させました。当事者にとっては「トイレに侵入された上にそのことを彼女に報告される」という形で事態が悪化してしまっていますが、えっと、その、ごめんなさい。

今回の件に限らず、彼に関しては私が彼に行う全ての反省すべき行為において彼自身に対してより彼の恋人に対して常々罪悪感を感じておりました。どれくらい悪いと思っているかというと彼女を前にすると罪悪感で挙動不審になりうまく会話できないくらいのレベルです。単に彼女がとても可愛いからというのもある。まあとにかくもともとのコミュ障に加え上記の理由によりほとんど私・彼女間のコミュニケーションはなく、「あいつ私の○○にひどいことたくさんした上に私のこと無視しやがる、死ねよ」と思われているかもしれないなあと心配しておりましたが謝ったときにちゃんと会話してくれたのでよかったです。やっぱり美人はいいなあと思いました。だいぶ話の方向性がおかしくなっている。

 

ストロベリーマジックの主題歌にフルが存在することを先日初めて知ったのですが歌詞がとんでもないですね。最高です。感動のあまり今回の記事のタイトルに引用しております。