フアムフラウドンナムリエル

今まで、何人かの女性の友人が「男に生まれたかった」と言うのを聞きました。

そう言われるたびに少し不思議な気分になりました。私は明らかに彼女たちより女としての幸せを享受していなかったのに、本気でそう思ったことは一度も無かったからです。

私は恋人がいたこともなくこれからもできないだろうし、とすればもちろん結婚も出産もできず一人寂しく処女のまま死んでいくことでしょう。ですから私の月経はただ無駄に血液と子宮内膜を月に一度垂れ流し無駄な痛みに耐えるだけの何の生産性も無い定例行事に過ぎず、私の無駄に健康な子宮も卵巣もかわいそうなことに無駄な器官です。しかしそういった無駄骨を無駄骨と知りながら折り続け、何も悪いことをしていないのに子供ができない夫婦が世の中にはたくさんいるにもかかわらず必要の無い私に健康な生殖器官が備わっていることが申し訳なくて死にたくなるのは、女という性のせい(だじゃれみたいで恥ずかしい)ではなく私自身のせいです。女としての幸せが得られないなら男のほうがよかったとは思いません。私のせいである以上は男であっても同じような苦しみを味わうことは間違いないからです。

また、私は自分が女だから理不尽な思いをした、という覚えは今までありません。むしろいいことのほうが多いです。私が男だったらかわいい女の子とふれあうことはおそらく絶望的で、何もしてないのに不審者扱いされるのが関の山でしょうが、幸いにして女に生まれたのでかわいくて優しい天使のような女の子たちと喋ったり遊んだり、彼女らにおっぱい触られたり抱きしめられたりしています。驚くなかれタダです。運動神経が男社会ほど重要な要素でないのも嬉しいところです。私は大変な運動音痴のためにとても辛い思いをしてきましたが、女社会の中でさえこれなのに男でこれだったら多分死んでいます。

とここまで語ってきたわりにこんな結論になるのはどうかと思いますが、私が女のほうがいいと感じる最大の理由は、個人的には女体のほうが男体より造形的に美しいと思っているからです。男性の体は動物としての機能美は感じますが芸術的ではないように思うのです。ただのひとつのオブジェとして、女性の体は単純に美しい。まあ私が曲線フェチだからそう感じるのでしょう。とにかく、私自身の肉体がどうであれ、私は女体が好きなので、自分が女体を持っているのは嬉しいです。私自身の肉体がどうであれ(大事なことなので2回言いました)。それに、ブスのくせにこういうことを言うのは大変恥ずかしいのですが、私は女らしい装いをするのも好きです。スカートを履くのが、ヒールのある靴を履くのが、かわいい下着を着けるのが、アクセサリーを着けるのが、好きです。男に生まれていればこういう喜びとは縁遠かったであろうと考えると、女という性を手放すのは、やっぱり惜しいように思うのですが。