京都に行きました

 お盆の辺りで京都に行ってきた(二年ぶり二度目)。前回同様友人宅に泊まらせてもらって、前回同様仕事の夢を見た。

 私の学生時代の修学旅行の行き先はもののみごとに古都を避けていたので、友人には申し訳ないけどこの夏の京都でベタな観光地ばかり行かせてもらった。伏見稲荷清水寺と八坂神社。分かりきっていたことだけど相当に暑くて、私は相当な汗かきなので顔面がそれはひどいことになった。顔の汗対策としてきちんとフェイスパウダーを塗ると、でろでろのぐちゃぐちゃにはならないんですが撥水加工された布に水を落とした時みたいに水滴が沢山生じるので見た目はでろでろのぐちゃぐちゃよりよほど醜悪なんですよね……。

 清水寺に南部鉄器の風鈴が沢山下げてあって、壮観でよかった。有名な喫茶店に行って、有名なメニューが軒並み売り切れだったのでメロンソーダを飲んだ。久しぶりに飲むメロンソーダは美味しかった。

 おしゃれっぽいところでクラフトビールを飲み、その帰りに寄ったスタバで初めてワッフルに生クリームをつけた。挙句にシロップをかけてシナモンをあほほどかけた。罪が大きい。美味しかったです。

 

 泊まらせてもらう上にそこまでしてもらうのは悪いなと思って、何か作るよと言ってくれていたのを断ってできあいの食べ物を一緒に買って帰って彼女のお家で食べた。まあまあ美味しかったんだけど、以前御馳走してもらった友人の料理の方が圧倒的に美味しかった。もしまた機会があったら頼み込んで作ってもらおうと思う。今回断ったのは私は料理が全然できない(もともとレシピ通りに作る程度の技術しかないのに、ここ二年全く料理をしていない為より悪化した)ので一緒に作ることが不可能だから、というのが大きかったので、それまでに練習しておこう。

 

 それと私は本当に極度の方向音痴なんですが、乗換アプリの力を借りて梅田での乗換を無事に行うことができたのでもうなんでもできるしどこにでも行ける気がする。これからも文明の利器の力に頼って生きていこうと思う(機械に!頼って!生きていこう!)。


tvcm 南陽 

無題

 世の中いろんな人がいるんだなという断片は去年までである程度分かったつもりでいたが、全然分かっていなかったようだ。

 いい子ぶっているようだけど、おまえ、それが人間が人間に対してやることかよ、という事実が世の中には随分多い。何も知らなかっただけだったんだなと思うとかなりショックだ。

 

 そういう掃いて捨てるほどある現場のうちひとつ(相対的に言えばかなりマシな方)で、私は偽善者で沸点が低く見切りをつけるのが早いので、こいつら何もわかってないな、駄目だ、と思って不貞腐れた態度をとってしまった。後で、あれどうにかなると思いますか、私どうせ何も変わらないと思うんですけど、と先輩に訊いたら、俺はどうにかなると思う、と言っていたので、自分の人間性を恥じた。

近況

 新年度から係が変わって大幅に業務内容が変わった。毎年業務が変わってるんですけど、毎回「これ一番私に向いてないたぐいのやつだな」と思っています。むしろ向いているものがあるのか?

 それはどうでもいいんですがすごく好きな上司と先輩(二十歳程上なので先輩という呼称には納得していません)が異動してしまって大変つらい。この二人には本当にお世話になった。死ぬ程迷惑を掛けたのによく見捨てずにいて貰えたなと心から思う。特に先輩に関しては私に対する責任はない(全くとはいえないのかもしれないけど)のに面倒を見て貰いっぱなしだった。かなり申し訳ない。でも出るところに出たら何らかの制裁を与えられるレベルの発言を全部笑って許したのでちょっと大目に見て欲しい。

 送別会で先輩に五回くらい話し掛けに行ったけど、言いたいことは沢山あったはずなのにいざそういう場となると全然真面目な話をできなくてかなり後悔している。上司にはいっぱい褒めて貰ったし励まして貰ったので満足……と書いてから、あんまりお礼を言っていなかったことに今更思い至った。だめじゃん。

 二年前の年末に、来年は楽させてもらいます、と言われたからそうする為に一年と少し頑張ったし、誠実であれ、あなたにはそれができると言われたからそうする為に今年度いっぱいは頑張れると思う。頑張っていれば誰かが必ず見ていて評価してくれるという旨のこともちょくちょく言われたし今度も言われたけど、それに関しては私はあまり信じていない。でも上司ができると言ったことなら私はできる(なぜなら上司は正しい)ので、上司の教育が正しかったことを証明する為にも頑張ります。

 

 新しい係の人達はいい人ばかりで、特に私と組んで仕事をする人は本当に親切で優しいのでありがたい。その人は去年会社の備品を失くしていて、そのせいで私の当時の上司(上記の上司と同一人物)も結構迷惑を被ったりしていた。でも実際に一緒に仕事をしていると(本当失礼なんだけど)驚くくらいきちんとしていて、どうしてこんなにちゃんとしている人が備品なくしちゃうんだろうと思う。

 みんな去年までの私の無能っぷりを知らなくて私がそれなりに仕事できると勘違いしている節がかなりあるので、気付かれる前に必死で誤魔化し方を学ばないと本当にあぶない。異動した上司と先輩の教育によってかろうじて人間の形を保っているけどこの二人をもってしてもこれが限界だったんです。がっかりしないで欲しい。

 

 去年の業務内容の変化は「よりによってなぜ私にこれをさせようと思ったのかどの視点から考えても全く意味が分からない」というところがあって、うまくできなかったらどうしようとかいう前に「上司の考えていることが分からない」という大きな不安要素があった。しかしその点今回の係異動は意味はよく分かる。私にできるかどうかという視点が完全に欠落してはいるが、意味は分かる。それだけましだ。

 まあできるかどうかで言うと、できない気がします!さっき頑張るって言っておきながら!

鬱病の話

  新しくこの部署に来た人が上司に向かって「あなたが今年誰も潰さなかった(病休者等を排出しなかったの意)はすごいですね」というようなことを言っていたけど、まあこの人いまより下の役職だったときに少なくともひとり潰しているからなあと思って聞いていた。それは私が入社するより前の話で、なぜ知っているかというと潰れた本人から聞いたからだ。そしてその潰れた本人は私がとてもとてもお世話になっている好きな先輩(学校でもないのに二十も歳の離れた人にこの言葉を使うのは違和感があるが、上司ではないし年齢も経験年数も段違いである以上同僚とも言いにくいので便宜的にこう言う)だった。
  この上司が、少なくともいまの私や先の人にとってはとてもいい上司であることは疑いようがない。事前の申請より長く残業しておきながら面倒だからとその報告をしないでいると珍しく真剣に注意されたことがあったのだが、同じ役職でそんなことをする人はこの部には他にいない。それでいながら昔は直属の部下(つまり、私が非常に世話になっている先輩)が休みの申請を出した上で出勤していても放っておいたのも本当らしい。
  じゃあこの上司と先輩は現在険悪であるかというとそうではなく、お互い気安い口を利いている。そして上司は先輩のいないところで私に向かって、ただのつきあいの長い気心の知れた部下のことみたいに「(先輩)さんも悪い人じゃないんだけどね」などと言う。私に対する先輩の言い方がきついので。フォローのつもりで。
  私は先輩をいやになったり嫌いになったりしたことなんか一秒もないのでただでさえそういう言い方をされると神経が逆撫でされるのだけど、とりわけこの上司がそういうことを言うとあなたがそれを言うのかよと思っていらいらしてしまう。この上司は大好きだし、たくさん迷惑をかけたし、お世話になっている。でもそれとこれとは全く別の問題で、この上司を好きな以上に私は先輩が好きだ。憎まれ口をたたきながら一から十まで世話を焼いてくれる人であるのを毎日毎日世話を焼いて貰った人間である私がわからないわけないだろうがと思う。顔を合わせるたびにきつい冗談を言われているにも関わらず私が先輩を好きなのを茶化す権利はあなたにはないだろうがと思う。何したのか知ってるんだぞこっちは、ひとひとり潰しておきながら、と思う。

近況

 最近たてつづけにミスが見つかって、それが全部本当にどうしようもない、しょうもないようなのばかりでいやになる。調子に乗ったからだ。でも急ぎだったんだもん、そんなに大事ならもっと余裕をもったスケジュールにしてくれよ、と思ってはいる。正直。
 年度内に片付けなければならない事柄が百個あるし(オタクは数を大きく言いがち)、年度が空けたら勝手に父と思い込んでいる人は異動するし、私も恐らく係を追われるから勝手に母と思い込んでいる上司とお別れだし、今後とくにいいことがない。せめてふたりのうちどちらか私に残してほしい。ああ童貞聖マリアさま、最初の二年でこういう偉大な人たちをお与え下さったのは十分すぎるほどありがたいですがもう一年お慈悲を下さい。切実に。
 
 先日、はじめてインターネットで知り合った人と会った。長い付き合いとかでもなく、それどころか会いませんかという話をする前にまともに会話をしたこともなかった。どこそこに観光にいくから誰か付き合ってくれませんか本当に誰でもいいです、というようなことをオープンな場に書いていて、そのどこそこが私の住んでいるところから近かったから本当に誰でもいいなら行ってみようかなと思って声を掛けただけだ。それで会ってきた。
 私はもともとその人の熱烈なファンなので
・熱烈なファンたちに「なぜおまえのような者が~~さんとお会いすることができるのか」と闇討ちされるおそれ
・畏れ多過ぎる
という危惧でいっぱいだったが楽しかった。その人が楽しませてくれただけかもしれないが。
   目的地はすべて私の住んでいるところからそう遠くない範囲にあり、でもこの機会がなければ行かないだろう場所だった。いつでも行けるしわざわざお客さんの多い時期に行かなくったっていい、と考えていたがこのままだと一生行かなかっただろう。地元民なのに「こんなところあるんだ」「ここ、こんなことやってたんだ」とばかり思っていて恥ずかしかったが楽しかった。
 でも一番うれしかったのは御本人に直接いかに!私が!あなたの!ファンであるか!というのを喋れたことだった。興奮のあまりいかにもオタクという喋り方になってしまったが後悔はしていない。本当によかった。でも相手はもしかすると本当は引いていたかもしれない。許して下さい。
 新しいことをしたり、新しい人と出会ったりするのって悪くないかもしれないなと思った。最近はそういうわけでスポーツに全く興味がないのに人についていって試合を見たりしている。

王様の耳はろばの耳

 仕事で関係のある人がメールを寄越す。今までずっと迷惑を掛けてごめんなさい、実はこういった事情なのです、なのでこれからも迷惑を掛けるでしょう、申し訳ありません、云々。

 少々面食らった。「仕事で関係のある人」といったってよその人なのだ。個人的な事情というのは打ち明ける方は勿論打ち明けられる方も気が重いし、それを受け止めるような関係性でなければ尚更である。我々は一度も会ったことがない。

 

 私は「迷惑」について一度も腹を立てたことはなかった。前に事情の概要を聞いていて、それは少なくとも本人にはどうしようもないことだったからだし、それ以前にその「迷惑」というのが、本人の言うほどたいしたものではなかったからでもある。相手を心配する余裕すらあった。

 事情の詳細を読んで、やっぱり私は腹を立てないし、これからも立てられないであろうし、ますます心配だし、今まで以上に「どうして周りの人たちはこの人をもっと助けてやらないのだろう」という疑念が強くなってしまった。助けているのかもしれない。でも明らかにこの人の業務量は多い。私がそこに何かを頼む時、書類を提出してくるのも、質問の電話を掛けてくるのも、メールをくれるのも、9割方その人だ。電話をくれるとき、いつも申し訳ありませんと必ず言う。本当に申し訳なさそうに言う。たぶん、随分前に締切を大分伸ばしてやったのをずっと気にしている。あれは本当に大丈夫なやつだったんです。だから連絡をくれたときにも気にしなくていいと書いたのに。

 

 うちがやることではないし、もしそれをやってしまったらそれは内政干渉のようなものだから絶対にできないのだが、仕事を手伝ってあげられたらいいのにと思う。これもやっぱり内政干渉だから絶対にできないのだが、どうして何々さんの業務を減らさないんですか、と言えたらいいのにと思う。私は大変な状況にある人に対して無理な仕事を押し付けて平気でいられるほど精神が鍛えられていないから、できるならそういう心苦しさから自分だけ逃げたいのでそういうふうに思う。

 とりあえず私はほとんど何もできないし、今まで何かしてあなたが恩に着ているそれや反対にあなたが何かして申し訳なく思っているそれは本当に些細なことなので本当に本当に気にしないでくれ、という思いを込めて即座にむちゃくちゃ熱い返事を書いたのだが(ただの自己満足だけど、この時本当に忙しかったけれども親しくない相手にわりあい個人的な事情を打ち明けるメールを送って黙殺されたと思ったらきっと悲しいだろうと思ったから)、どうやら熱過ぎて引かれたらしく、その後電話でやりとりした際にも特にリアクションはなかった。

寒過ぎる

 標題の通りです。本当に寒い。

 

 私は「真実の愛と性」という問題が異常に好きなんだけど(だから当然「hなhとA子の呪い」や「狂四郎2030」が大好き)なんでだろうと思った。

 

1 恋に苦しむ人が好き

 恋に苦しむのは相手のことを本当にむちゃくちゃ好きだからだと勝手に思っている。苦悩するほど誰かを恋する人が好き

2 性欲は暴力的な側面があるのでちゃんと考えてほしい

 個人的には誰かを愛する時その人に性欲を抱くのは全くおかしなことではないと思う(本当に愛しているならセックスしなくても平気なはずだというふうには思えない)が、他人に向けられる欲望である以上正しく順序を踏み相手の合意を得たものでなければただの暴力なので、愛してるから抱きたいのは自然だろと開き直って欲しくない

3 1と2が合体すると愛と性の問題に苦悩する人間が出来上がる

 相手の身体を手に入れたいと思ってしまうのは真に相手を愛しているのでなく単なる欲望だけなのではないかと思って苦悩する人間、問題に真面目に向き合っていて好感が持てるし本当に相手のことがむちゃくちゃ好きでなおかつ大事なのがわかってよい

 

 で、もっと言うとその相手がまるごと全部受け入れて許してくれる(愛ゆえに)タイプだとうれしい。もはやただの萌え語りですね。

 そしてどうしてここまで愛や恋や性に執着するかというと「愛や恋や性は重大なものであってほしい、なぜならそうであれば自分の人生の惨めさはそれらを手に入れられなかったからだと言い訳できるから」に尽きる。