「ときめきませんね」

 ここしばらく何も書いていないのは忙しいのもあるけど特に書くべきことが起こっていないからで……と書いてから思い出した。ある。超ある。

hなhとA子の呪い(1)【特典ペーパー付き】 (RYU COMICS)

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  読んだんですけど本当もう好みでした。性欲にまつわる罪悪感についての話(あとがきより)。

 主人公針辻くんは性欲を真実の愛の敵であり唾棄すべきものと考えている訳ですが、冒頭の大演説を初めとして部分的には正論なんですよね。「三大欲求の中で性欲だけが人が人に対して抱く欲望であり、性欲は人を傷付ける」とか。ただこれが例えば「性欲は自然な欲求なのだから性欲に基づく性犯罪は肯定すべきものである」というような、「性欲は自然な欲求なのだから人を傷つけようが何だろうが正しい」とかいう主張に対する反論ならば全く間違っていないところ、彼は過激派なのでありとあらゆるすべての性欲を、性欲そのものを否定している。これがそもそも針辻くんをここまで追い詰める根本的な誤りだと思うんですけど「…愛と性欲が混じっているとかふたつのバランスの問題だとか…そんな間抜けな答えはいらない……」と語っている以上かわいそうな針辻くんは「分かったふりで生き延びるくらいなら俺は… …俺は一生苦しんでやる…!」と言うとおりになる予感しかしない。かわいそう。誠に申し訳ないが私はこういう極端から極端へ走り自縄自縛になって勝手に苦しんでるかわいそうな男は大好きです。

 結局のところ針辻くんの言うところの「間抜けな答え」こそが真実でありここに辿り着く他に解決の道はないように個人的には思うのですが、ここからどうやってハッピーエンドになるのか全く予想がつきません。針辻くん本人は「汚れた性欲」を捨て去って「こっち」に戻って来ることをゴールと考えていると思うけど多分そういう話じゃないですよね。そういう話であってほしくないですよ(願望)。

 よくよく読んでみると台詞回しなんかが結構装飾的というかポエムチックだったりするんですけど、ポップな絵柄で中和されているのか痛さとか恥ずかしさは全くないです。

 そしてヒロインの南雲が本当にかわいい。ところで針辻くんは南雲の格好を指して「相変わらず色気の無い格好」とか言っているけど一体君は何を言ってるんだ。

近況

たびしカワラん!!について

 今更にも程がありますがたびカワが終わってしまいました。私の感想のすべてはファンレターに書いてしまったのでもうここに何か書く気力はないんですが、そもそも私が何か言うより読んでもらう方がよっぽど早いし最高なので読んで下さい。以上です。

urasunday.com

仕事の話

  絶対出世できないしそもそもしたくないと思っていて、自分がそういうメンタリティの人間であることは小学生ぐらいから自覚があり今後決して変わることはないと思っていた。が、最近0.0000000001ミリくらい変わってきた。自分の直属の上司が本当に素晴らしくてかなりよくして頂いているので、ああなりたいなあというのが半分とこの上司にここまで迷惑を掛けて教育(教育?)して貰ったからにはそれが正しかったことを証明したいというの半分で、できるものなら出世したいという気持ちが生じてきている。

 その一方でこの上司を見ていると出世なんてするもんじゃないよなあとも強く思う。激務どころの話ではない。事実、この上司と同じくらい尊敬している人が上司本人に向かって「(上司)さんを見ていると出世しなくてよかったと思う」というような発言をしていて、それもとてもよく分かる。でも私はこの方にも早いところ出世して欲しい。

 というかそれ以前に早いところ人間並の知能を手に入れたい。ペットのラブラドール・レトリーバーの方がよっぽどいい仕事すると思う(これは犬をばかにする意図ではありませんが私と比べられた犬のみなさんには申し訳なく思っています)。

シン・ゴジラを観た

 観た後にあーーおもしろかったもう一度観たい!と思って、たまたま機会があったので二度観ることができた。同じ映画を映画館で二度観たのは初めてだ。とても人間ドラマだったなと思った。

 この映画に対する批判として「エリートしか登場しない」「日本と米国しか登場しない(観た方は勿論分かると思いますが当然米国以外の外国は登場していて、しかし圧倒的に存在感が薄い)」というのがよくあって、前者に対して反論したい気持ちはあるけど後者はまあそれはそうだなと思う。でも意図的な描き方かどうかは知らないけどそれが現実なのは確かじゃないの。

 石原さとみの台詞まわしは笑ってしまうようなところもあったけどキャラクターとか演技とかは前評判程(これが悪かったからハードル下がってたのかもしれないけど)悪くなかった。何より、ネットでどなたかが書いていたとおり、この役を受けた勇気はすごい。

 ところで私は津田寛治がとても好きなんですけど、良い津田寛治でした。

君の名は。を観た

 きれいな新海誠だった。ヒットしたのはよくわかる。でも私は気持ち悪い方の新海誠が結構好きだったんだ!!

 

日記

 夏生まれだけども夏はめちゃくちゃ嫌い。暑いから。

 多少外を出歩くとそれだけで異常に疲れてしまう。といっても平日はまだ日の照っていないうちに家を出て日が暮れてから職場を出るので大丈夫で、問題は休日。もとから出不精だけど夏は一層家を出たくないな。

 あと時流に逆らってスクワットチャレンジをしたら膝を痛めた。

近況

 今ほんの少しだけ仕事が落ち着いている。嵐の前の静けさという感じです。いやそこまで言う程暇ではないな。

 私は自分の仕事をとくに好きではないしものすごく誇りに思っているというのでもなく、更に言えば全く適性がないと思うが、うまくいく(私は極度に能力がないのでこの「うまくいく」の指すところのハードルは大変低い)とうれしいし、好きな人に褒められるとかなりうれしい。上司(かわいい)はいくら社交辞令だとかリップサービスにしても何か勘違いしているのではないかというくらいに私を「ものすごく成長した」と考えているきらいがあるのでむしろ不安を覚えるけど、そんな風に言われて嬉しくならない訳がない。もっとちゃんとしたいといつも思っている。今思いましたがもしかしたらそれを狙ってわざと言い聞かせるように褒めてるのかなあ。そうだったらすごい上司だ。

 昨年は一方的に他人に迷惑を掛ける側だったけど、今は迷惑を掛けられることも時にある。私のせいじゃないんだけどなあ、と思いつつ他人に謝ることも増えた。とはいえ私はこれまで他ならぬ自分のせいで他人に謝り通しだったので謝罪には慣れているし、とにかく先回りして謝っておけば許して貰えたり大目に見て貰えることは意外に多いということを学習してしまいこれを乱発するようになってしまった人間の屑なのでとくに抵抗はない。挨拶の如く電話口で申し訳なさそうな声色を出すことができる。大体散々他人に迷惑を掛けておきながら自分が迷惑を掛けられるのを嫌がる権利はないと思うし……。

 ただ、ということはきちんとしている人は一方他人に迷惑を掛けられるのを理不尽と感じたり、「なんでこの人こんなにできないんだろう」と思ったりするんだろう。それは理屈では分かっていたけど、この間とても仕事のできる方(面識はある人)が他の人に迷惑を掛けられて、当人が去った後にばかだのあほだの罵ってるのをいざ聞いてしまい大分気が滅入った。部外者(私)のいる前で言うなよなあ。私は自分がばかなのでばかでも生きるのを許される世界がいいなと思った。

無題

 真面目なことを書いて後で見直すと気持ち悪いし、かといってふざけるとそれはそれで気持ち悪い(おもしろくないから)ので困る。どうも生まれつき文体が気持ち悪いようだ。

 ここでは随分長い間たびカワの話をしていないけどもちろん今も熱狂的に読んでいる(わりにすぐ話の筋を忘れていてびっくりする)。次で最終巻らしいので本当に本当にショックです。ただし信頼と安心の江野スミ先生なので終わり方に対する不安は一切覚えていなくてその点については期待しきっている。

 

 能力がないのに道具をいろいろ揃えたりいい道具を使ったりするのは頭悪そうで恥ずかしい気がしていたけど、頭悪いのだからこそ道具に頼らないと駄目ということに最近気付いた。頭悪いのは事実なんだから頭悪そうで恥ずかしいと思うのも無駄だし。

aguru

 もう七年ほどずっと「真人間になりたい」と言い続けている。

 つまり未だに真人間にまったくなれていない。そうこうしているうちに私の言う「真人間」の意味するところが次第にずれてきている気がする。

 主題が「きちんとしたい」という点であるのは変わっていなくて(きちんとするというのはそれ以上具体的に言いようがない(by江國香織)と思うけど、ここで言っているのは例えば転居をしたら住民票を移すとか締切を守るだとかそういう相当に低レベルな話)、でも昔は根底にそれこそ「王子様みたいに」かっこよくなりたいというのがあったのが、今はそれよりとにかくやさしい人になりたいとよく思う。ただしかっこよくなりたくなくなったわけではけしてない。

 何だってそんな風に思うようになったかというとおそらくここ二年でやさしい人にたくさん会ってきたからだ。いや、これまでもやさしい人にはたくさん会ってきているけど最近はやさしさを正しく認識できるようになってきたというところか。こう書くとなんだか人間的にまともに近づいているように見えるが、ただ単に仕事で追い詰められて他人の優しさが身にしみやすくなっただけだろう。

 

 勤めに出るようになってから会ったやさしい人たちの一部は自分のやさしいところをあまりあからさまにしないようにしていた。例えば私が何かしらつらい思いをしていないかどうか声をかけて下さるとき、かなり冗談めかしたからかうような口調で訊ねてくる。自分がそういうキャラクターではないから、というような理由かもしれないが、それより人に気を遣わせることを避けようとしているのだろうと感じる。極度にやさしい。それにしてもこういう人たちのすごいのは自分に余裕がないときでもそういうやさしさを発揮してくるところですね。

 「他の人は分かっていなくても私だけは分かっている」という風に考えたくはないが、やはりそういうやさしさというのはすべての人が感じられるものではないようで、誰かの発言に「違うのに」と思うことも多々ある。やさしさを分かってもらえなかったり、その一方でやさしさにつけこまれたり(私の知っているやさしい人たちは大概理不尽なひどい目を見ている)するのだからやさしい人というのは損でしかないように思うし、それに一体誰がやさしい人にやさしくしてやるのだろうと思う。

 というわけで私の身近にいる一番やさしい人の手助けをする機会をずっと狙っていて、先日とうとう「さんざんいじめ続けてきた(私)さんに助けられるなんて……(いじめられてはいないです)」という御言葉を頂戴したのでよかった。でも全然たいしたことないしその些末な手助けにわざわざこういう言葉を下さるのもまたやさしさなんだろうからきっと一生勝てない。

語彙力

 昨年のいま頃毎日毎日仕事の夢を見ていた。いつまでも仕事が終わらない夢である。とりわけゴールデンウィークのど真ん中に友人の家で仕事の夢から覚めたのは最悪の寝覚めランキングトップ3に入る寝覚めだったと思う。

 その辺りが一番仕事を辞めたい気持ちがマックスだったのだが、「誰に話を通せばいいのか分からない」「退職が決まってから退職するまでの期間を耐えられる気がしない」という馬鹿の極みみたいな理由で辞めることができなかった。

 そんなだった私も今や日々約13時間労働に勤しみ眼(というか目蓋)と肌と髪をぶっ壊し立派な社会人になったと言えよう。これでも一年前に比べれば随分精神的にはましになった。上司がかわいいし。

 直属の上司(40代男性)は優しくて真面目できちんとした人で、しかし申し訳ないことにそれらすべてを吹っ飛ばす勢いでかわいい。サラリーマンをしているよりアイドルになった方が余程儲かるだろうし世の中の為にもなると思う(でも私の上司でなくなったら悲しいのでやめてほしい)。アイドルと言ってもジャニーズではなくハロプロである。もっと言えばセントフォース(女子アナはアイドルではないという指摘は受け付けない)。松潤ではなく皆藤愛子なのである。

 一応書いておくと私の好みという訳では全くない。そういう話ではない。私がしているのはそんなちんけな話ではない。上司のかわいさはそんな枠に収まるようなものではないのだ。ついでに言うと見た目がどうとかいう話でもない。すべてである。すべてがやばい。

 というような話を職場の人に言うわけにもいかず上司本人に会ったこともない人達に熱弁することになるが、当然ながらこんなのでは全く魅力を分かってもらえない。会ってもらえれば一発なのに!!!!